
第三話 七摘町
蒸し暑い日が続く六月中旬。
「成瀬くん、ちゃんと傘持った?」
「はい、折り畳み傘があるので」
あざみ区エリア編集部では、取材に行く時は必ず『二人一組でいく』というルールを設けている。
キャリアや性格などを考慮して、基本的には最年少でライターとしてのキャリアが低い成瀬とベテランで世話焼きな辻堂が組み、冷静でキャリアの長い根岸と経験はあるが注意力散漫な久地のペアで行動することが多い。
辻堂と成瀬が取材のための準備をしていると、根岸が声を掛けてきた。
「二人は今日、伝舟町で取材でしたっけ」
伝舟町は例の廃ホテルがある傳々山の辺り一帯の町のことである。あの辺りには昔、隣の七摘山との間に川があったらしく、舟や橋など川にちなんだ地名が多い。
「うん、伝舟駅前のカフェで投稿者の人と待ち合わせなの。根岸さんと久地さんは双見中学校の取材でしたよね、車で行くなら途中までお願いしていい?」
「いいですよ。一緒にいきましょうか」
取材に必要なカメラやノートパソコンを持って、地下にある駐車場へと移動する。
あざみ区エリア編集部のあるビルは、K新聞社の本社でもあるため、かなり大きなオフィスビルだ。1階にはカフェなどの飲食店が入っており、2階のオフィスエントランスには受付案内の女性が常駐しているほか、地下には社用車や車通勤の人のための駐車場もある。
駐車場の警備員に社員証を見せて手続きをすると、社用車として使っているグレーの乗用車に乗り込んだ。運転手である根岸が今日の目的地をカーナビに設定していく。
「伝舟駅前を経由して、それから双見中学校へっと。……あら?」
カーナビを設定していた根岸が、何かに気付いた顔をした。
「どうかしました?」
後部座席に乗り込んだ成瀬が、カーナビの地図を見つめて止まった根岸に声をかける。
「あぁ、いえ。そういえば、双見中学校って七摘町だったな、と思って」
カーナビに表示された地図に視線を向けると、設定した目的地を示すピンのあたりに七摘町と表示されていた。
「……それが、どうかしました?」
「実は、他にも久地さんと並行で調査取材してる話が、七摘町なんです」
根岸の言葉に、成瀬は編集部に置いてあるホワイトボードを思い出す。
たくさん送られてきた横峯市東部エリアの『怖い話』の中から、特集記事にする予定のものは印刷してホワイトボードに掲示し、担当者の名前の書かれたマグネットで留めていた。その中で根岸と久地の名前が付いていたのは確か二つで、双見中学校ともう一つ。
「戻橋トンネルでしたっけ? そういえばあの辺りも七摘町でしたね」
成瀬は頭の中にあざみ区全体の地図を思い浮かべた。あざみ区は楕円状の葉っぱのような形をしていて、K新聞社のビルがある衛宮町が葉の先端辺りになる。七摘町は葉っぱの反対端になる付け根の辺りの市境に位置し、隣の市に抜ける道路の途中にあるのが戻橋トンネルだ。
「私が最初に話した浅黄町中学校は浅黄町にあるけど、七摘町の隣になるのよねぇ」
成瀬の隣に座っていた辻堂が思い立ったように口を挟む。
「それ言ったら、傳々山の廃ホテルも七摘町の隣になりますよ」
横峯市は八つの区に区分けされ、五百を超える町を抱えており、そのうち東部エリアはあざみ区を含めた四つの区で、町の数は三百以上だ。そんな東部エリア全体に向けて募集した『怖い話』が、同じような地域に集中しているというのもなんだか奇妙な話である。
なんだか背筋が寒くなった気がして、三人とも無言になってしまった。
と、そこへ出発前に化粧を直しに行っていた久地が助手席に乗り込んでくる。
「お待たせー! もう湿気でぜーんぜん髪が直んなくてさぁ」
空気を一変するような久地の明るい声に、三人はハッとして我に返った。
「どうしたの?」
「あ、いえ。ちょっと取材先が七摘町周辺が多いね、という話をしてまして」
根岸が久地に簡単に説明すると、ああ確かに、と大きく頷く。
「言われてみればそうかも。やっぱ同じような地域ばかりだとよくないですよね? どうします?」
「記事では具体的な地名を出さなかったり、イニシャルにしてるとはいえ、分かる人にはわかっちゃうもんなぁ」
「でも、募集で集まった話の中から、内容のいいものを選んでますし……」
成瀬はそう言いながらカーナビの地図に表示される『七摘町』の文字を見つめた。
今回の企画では、あざみ区内の話の選別はリーダーを任された成瀬が担当している。話の内容から選んでいたので、語られる場所についてはあまり気にしていなかった。
「とりあえず、今は取材に行きましょう。この件は後日、奥沢さんに相談するってことで」
「そうですね」
四人は一旦このことを保留にして、取材に向かうことにした。
◇ ◇
【掲載しないといけない人物写真】
ライター:ねこ鍋
現在は統廃合で無くなった、ある中学校の卒業アルバムには『必ず掲載しないといけない人物写真』というものがあったそうです。
「生徒の一覧ページって、卒業アルバムだと必ずあるでしょう? そのうちのどこのクラスでもいいから、クラスの一員でしたよ、って感じで載せなきゃいけなかったんですって」
この話を送ってくれた投稿者の、高齢になるお母様が卒業した中学校では、そんな不可解な伝統があったそうです。
「私の母はずっと今の地域に住んでいるそうなんですけど、母の実家が区画整理で建て壊すことが決まり、引っ越さなきゃだってことになって、家中の荷物を整理したんですよ」
「では、その引っ越し作業中にその卒業アルバムを?」
「はい。母の荷物を捨てるものと今の家に持って帰るものとに分けていたら、捨てるものの方に卒業アルバムを放るもんですから、理由を聞いたんです。そしたらそんな話をされて」
投稿者の方に、実際にそのアルバムを見せてもらいました。
カラー写真が普及し始めた頃のものなので、アルバム自体もかなり古かったです。
「問題の子の写真を混ぜたのは、母の隣のクラスでした」
付箋の貼られたページには、クラス名と四角に切り取られた生徒一人ひとりの写真が貼ってありました。そしてそのクラスの一番最後に、明らかに当時一緒に撮ったわけではなさそうな、より古い人物写真が一つあります。
該当の生徒は髪が短く、男とも女ともいえるような顔立ちをしていて、判別がつきません。投稿者の方もお母様に聞いたそうですが、性別はわからなかったそうです。
背景や服装が他の子と違うせいで目立つものの、なんだか妙に印象の残らない顔をした生徒でした。何度も使いまわしているのか他の子に比べて不鮮明ですし、アルバム自体が劣化しているせいもあって、その子の部分がより不気味に感じられました。
「せっかくの卒業アルバムなのに、できれば載せたくないですよね」
「そうですよね。母の話によれば、毎年どのクラスに紛れ込ませるかで揉めていたそうです」
一生に一度の思い出に、全く知らない存在を紛れ込ませるのはやはりどのクラスも嫌なのでしょう。
しかし、争ってでも掲載するクラスを必ず一つは決めなければいけなかったようです。
気になった投稿者のお母様は、先生に理由を聞くとこんなふうに返されたそうです。
「卒業アルバムにその子を載せないと、色々起こるらしくてね」
聞けば、過去に「こんなことは悪習だ」といって、例の生徒の写真を卒業アルバムに掲載せずに作成したところ、その年の卒業生は、大半が若くして亡くなってしまったそうです。
学校側もその翌年は、大きな事故や事件などが立て続けに起こり、大変だったとか。
さすがにこれはマズイと思った先生たちは、翌年の卒業アルバムに再び例の生徒の写真を載せるようにしたところ、相次いだ不幸がピタリと止まったため、続けることにしたのだそうです。
一体どうして掲載されるようになったのか、この生徒が何者なのかについては、投稿者のお母様も聞かされておらず、理由は不明だそうです。
ただ、掲載しないと祟りが起きる。
その中学校では過去に自殺した生徒がいたという噂もあったそうなので編集部でも調べてみましたが、かなり古い記録なのと、統廃合の兼ね合いで関連のありそうな資料を見つけられませんでした。
「統廃合で学校自体が無くなっちゃいましたし、その後のアルバムに『知らない生徒の写真を載せないといけない』と言われたりはしなかったので、もう詳細はわからないんですけどね」
その中学校のあった場所は、過去の市町村合併の際に新しく建て直され、現在は別の中学校になっているそうです。
◇ ◇
【事故物件の前で立ち止まってはいけない】
ライター:ほたる
その方は現在、違う町に住んでいるそうです。
「以前住んでいた家は山の近くにあったんですけど、近所に事故物件だって言われているアパートがあったんです」
自宅へ帰る道の途中の、別れ道の手前に建つ、古い三階建てのアパート。かなり古くからある木造のアパートで、そこの1階の角部屋は事故物件だという噂がありました。
聞いた話なんですけど、その部屋に一人で暮らしていた男性が、部屋の中をいわゆるゴミ屋敷のようにしていて、連絡が取れなくなったことを心配した親族が家を訪ねたら、死んでいたそうです。
「その事件があったのはいつ頃でしょうか?」
「その町に住んでいたのが十年くらい前で、その時に十年くらい前にそんな事件があったんだよ、と言われたので、今からだと二十年くらい前になると思います」
当時アパートには『入居者募集中』の看板がついていましたが、噂のせいか誰も住んでいなかったと思います。
でも時々、ぼんやりと小さな明かりがついているのを見たって人がいて、地元の人は『幽霊アパート』って呼んでました。時々、肝試しをしてる学生も居たみたいです。
商店街からも駅からも遠くて不便だし、見た目も古くて不気味だからって、ますます人が寄り付かなくなっていました。
「そのアパートの近くで体験したんですか?」
「はい、そうなんです」
その日は仕事で帰りが遅くなって、最終バスを降りた時には、深夜〇時近くだったと思います。
街灯が少なくて暗い夜道を、一人で足早に歩いてました。
するとどこからともなく、生ごみの腐ったような、嫌な臭いが漂ってきました。歩いていくにつれて、どんどん強くなっていきます。
自宅までの道の途中にゴミの集積場所があるので、誰かが大量にゴミを捨てたのかなと思いました。
しかし、ゴミの集積場所には何もありません。
山が近いせいか時々不法投棄をする人もいるので、どこかにゴミがあるに違いないと思い、自分の鼻をつまみながら臭いの強くなる方へ向かったんです。
そしたら、例の幽霊アパートの前に着いてました。
誰も住んでいないはずなのに、確かにアパートからゴミの臭いが漂ってきています。
驚きのあまり呆然と立っていると、1階の角部屋にぼんやりと明かりがついているのに気付きました。部屋の明かりではなく、真っ暗な室内でテレビだけつけているような、そんなぼんやりとした光です。
怖くて動けずにいると、その部屋のカーテンのついていない窓が、カラカラと音を立てて開きました。
ひとりでに開いたわけではなく、部屋の中にいた誰かが開けたようです。髪の長い、服装までは暗くて分かりませんでしたが、人がいました。
驚いていると、その人が私に向かってこう言ったんです。
「すみません、うちの子を知りませんか? まだ帰っていないんですよ」
女性の声でした。
驚かす感じでもなく、まるで近所に住む顔見知りに、当たり前のように尋ねるみたいな言い方です。
「すみません、うちの子を見ていませんか?」
私はまるで金縛りにあったみたいに、何も答えられず、動くこともできず、謎の女性が繰り返し尋ねるのを聞いていることしかできません。
どうしよう、どうしよう、と考えていると、不意に持っていた携帯電話から着信を知らせるメロディが鳴り響いたんです。
ハッとして電話に出ると、お母さんからでした。
「も、もしもし? お母さん?」
《ちょっとあんた、遅いけど大丈夫?》
「あ、うん。もう家の近くまで来てるよ」
《そうなの? 早く帰ってらっしゃい》
「うん、すぐ帰る」
短い電話を終えてアパートを見ると、明かりも女も消えていました。あの酷いゴミの匂いも全くしていません。
私はそこから逃げるように、走って家に帰りました。
「よかったですね、お母さんからの電話で助かったんですね」
「そうなんです。普段なら私が遅く帰ってくる時は、両親はもう寝ている時間なので、本当に助かりました」
「お母さんが電話をしたのは、何か理由があったんでしょうか?」
「それなんですけど。帰宅してすぐ母に聞いたら『夢で真っ赤な服を着た女が、嫌がるアンタを山に連れていこうとする夢を見てビックリして起きた。起きたらまだ帰ってなかったから心配して電話したんだよ』って言われたんです」
投稿者さんの言う『幽霊アパート』について調べたところ、確かに二〇年ほど前に一人暮らしの男性がゴミだらけになった室内で変死しているのを発見された、という記録を見つけました。
しかし、その男性と懇意にしていた女性や、その部屋で亡くなった女性などはおらず、その部屋に現れた女性についてまでは分かりませんでした。
投稿者の母親の夢に出てきた女性と、アパートで見た女性の幽霊の髪型が同じだったかどうかは、怖いので確認していないそうです。
◇ ◇
「……確かに、七摘町やその周辺の話が多いね」
編集部の会議室にあるホワイトボードの前で、奥沢が腕組みをして唸っていた。
成瀬と辻堂は、以前根岸が気付いてくれた『採用した話が七摘町周辺に集中している』という件を編集長でもある奥沢に報告したところである。
報告を受けた奥沢は、早速ホワイトボードに大きく印刷したあざみ区の地図を張り出し、今回の企画で採用することにした投稿の、不可思議なことが起きた場所に赤くて丸い磁石を置いていった。
すると七摘町と文字の書かれた周辺にばかり、赤い磁石が集まっている。
「すみません、話の内容で選んでいたので、場所についてまでは気が回らなくて……」
奥沢の隣で成瀬が申し訳なさそうに頭を下げた。地域情報サイトである以上、一つの町の話題ばかり取り上げていると『〇〇に肩入れしすぎだ』と言われてしまう可能性がある。
採用する話の裁量は企画リーダーである成瀬に委ねられているので、場所についてまで気が回らなかったのは、やはり経験不足もあるだろう。
「まぁまぁ。まだ始まって数回だし、これから挽回していこう。これも経験だよ」
「……はい」
奥沢に慰められるように肩を叩かれ、成瀬は俯いたまま頷いた。
それを見た奥沢はいつものように目尻にシワを増やすと、それにしても、とホワイトボードに視線を向ける。
「七摘町には、なにかそういう、変な話が集まりやすいとかあるのかな?」
「そういう話は聞いたことないですが、七摘山は事故ニュースが多いほうだと思います」
七摘町の大半を占める七摘山は、そこまで大きな山ではないが、隣に並ぶ傳々山と合わせて景色がよく、登山やハイキング、キャンプ等で訪れる人も多い行楽地の一つだ。
そのためか、毎年事故で亡くなる人や、行方不明者のニュースが後を絶たない。
「事故ニュースが多い分、そういう話も多いのかもしれないですね」
「そうは言っても、他の地域の話は結構ベタというか、よくある感じなのよねぇ」
辻堂が不採用になった投稿のリストを改めて眺めながら、ため息をついた。
例えば、話しているとやってくる赤い女の噂や、夜道で追いかけてくる幽霊など、投稿してくれた人にはとても怖い体験だったのだろうが、どこかで聞いたことのある話も多い。
こういったよくありそうな話は、下手をすれば『〇〇のパクリだ』と、逆に剽窃を疑われてしまうことも多く、なかなか難しいのである。
「そうなんですよね。やはり七摘町の話は他とはすこし違う感じがするので、掲載するならインパクトで選んだほうが――」
「私は、辞めたほうがいいと思います」
普段はあまりライター側の話し合いに首を突っ込んでこない平間が、数枚のコピー用紙を抱えて会議室の入り口に立っていた。
「平間さん?」
「どうかしました?」
奥沢と成瀬、そして辻堂が困惑した視線を向けるも、平間は口元をグッと真一文字に結んだまま、ホワイトボードの近くまでやってくる。
「一介のパートが言うことではないかもしれませんが、七摘町の話ばかり掲載するの、辞めたほうがいいと思います」
そう言って頭を下げながら、三人に持ってきた数枚のコピー用紙を差し出した。
成瀬がそのうち一枚を手に取り視線を落とすと、そこには『星川』という人物から届いた投稿メッセージが書かれていた。
〈警告します。七摘町に関する怖い話を掲載するのは、即やめてください〉
〈掲載するのをやめないと、不幸なことが起こります〉
〈最悪、新聞社自体が無くなることになりますよ〉
「なにこれ……」
他のコピー用紙にも、文章は違えど似たような内容が書かれている。
「ほんの一部なんですけど、こんな感じのメッセージが一日に一通は必ず届いてるんです」
事務作業をメインとするパート従業員の平間は、今回の企画ではあざみ区内の話とされる投稿の内容を簡単に振り分け、精査するのが仕事だ。そのため、この奇妙なメッセージに気付いたのだろう。
「七摘町の話だと気付く人は気付くんだねぇ」
掲載する記事では、名称になるべくイニシャルを使うか、場所を特定されないよう具体的な地名が出ないように気を付けている。
特に【事故物件の前で立ち止まってはいけない】では、現在は伝舟町に住んでいる人から聞いた話だが、件のアパートがあった場所を確認したところ、住所は七摘町だった。なので、七摘山の名前は出していないし、昼間実際にアパートのある場所に行き、外観から特定に繋がりそうな表現――本当は二階建てアパートなのを三階建てにするなどして避けている。特に地元の人から呼ばれている『幽霊アパート』という呼び方も、本来は違うものをちゃんと変えた。
それなのに、この『星川』という人物は、なぜ七摘町の話を集めていると気付いたのだろうか?
「うーん、人気コンテンツへのやっかみじゃないかしら?」
「どの点で気付いたのかは気になるところだけど、よくある嫌がらせだと思うけどねぇ」
謎の『星川』からのメッセージに目を通した、経験豊富な辻堂と奥沢が口を揃えて言う。
確かにこれまでも、いい成績を残すと悪口のようなメッセージが届いたりしていたし、こういったメディアを運営していると無いことではない。
「でも……」
心配そうな顔をする平間に、成瀬は用紙を返しながら笑う。
「きっと大丈夫ですよ。ベテランのお二人がおっしゃってるんですし」
「そうそう。何かあれば、僕がちゃんと対処するし、盾になるからね」
奥沢に念を押されるように言われ、平間もようやく納得したように頭を下げると、自席へ戻っていった。
「……まぁ。確かに不可解だな、とは思うし、心配になるのも分かるけど。そこで止まったら、良い記事はできないからね」
平間を見送った奥沢が、辻堂と成瀬のほうを向いてそう言った。
「はい……」
「では、記事の選別基準はこれまで通りで大丈夫ですか?」
辻堂が尋ねると、奥沢が大きく頷いて、視線をホワイトボードに広げた地図に向ける。
「今のところ七摘町と気付いているのは、その『星川』という人物だけで、複数から言われているわけじゃないだろう?」
一つの箇所に集中している赤い磁石を、奥沢が一つずつ外して、少し離れた位置に付け直した。地図に書かれる『七摘町』の文字が綺麗に見える。
「こういうのは、書き方次第で違う場所のように見せることもできるし、今回はネタの良さを基準に選ぼう。東部エリアの優秀なライターたちなら、問題なくできるだろうからね」
奥沢の顔には、いつも通りの優しい笑顔が張り付いていた。
その言葉の真意は『そうしなさい』ということ。
「……はい、分かりました」
「頑張ります……」
「うん、よろしい!」
二人の返事に、奥沢が満足そうに笑う。
東部エリアの統括部長は、ただ優しいだけでは務まらない。
成瀬は奥沢部長の、時折こうして見せる厳しいプレッシャーに、やはりすごい人なのだな、と改めて考えていた。
「じゃあ僕はそろそろ会議があるから、ちょっと行ってくるね」
奥沢が腕時計を見ながらそう言うと、再びにっこり笑って編集部を出ていった。
「……とりあえず、書き方は注意しないといけないわね」
「そうですね。根岸さんたちにも伝えないと」
辻堂が胸を撫で下ろしたように言う言葉に、成瀬は頷く。
場所に関係なく、内容の面白さを優先させると方針が決まった以上、場所に偏りがあるように見えてしまえば、『星川』以外の人間からも指摘する声が届くに違いない。
それを避ける方法は、ライターたちの技量にかかっている。
――気を引き締めないと。
会議室に散らばったプリント類を片付け、成瀬が自席に戻ると電話が鳴り出した。
いつもなら電話をとってくれる平間のほうを見ると、別の電話に応対中で、辻堂も見当たらなかったため、成瀬が受話器を取る。
「はい、K新聞社あざみ区エリア編集部です」
《どうもー、
聞き覚えのある、明るい男性の声。同じK新聞社の横峯市東部エリアで皐月区を担当している、妙蓮寺
「ああ、妙蓮寺さん。お久しぶりです、成瀬です」
《久しぶりだね。東部の合同飲み会以来?》
「たぶん、そうだと思います」
同じ東部エリアでも、皐月区を担当するライターは
妙蓮寺とは年齢が離れているものの、人懐っこい人柄のせいか話しやすい。
「それで、どなたに御用ですか? 奥沢部長ならちょっと会議に行っちゃいましたけど」
《あ、そうなの? 残念。あーでも、あざみ区の企画リーダーって成瀬くんだっけ?》
「はいそうです。あ、企画の件で何か?」
《うん、実はさ。皐月区の投稿が一番少ないって話、成瀬くん聞いてる?》
「……え?」
成瀬には初耳の話だった。詳しく話を聞いてみると、どうやら皐月区の企画リーダーは妙蓮寺で、投稿される怖い話が圧倒的に少なく、話の選別に手こずっているらしい。
妙蓮寺の話を聞きながら、平間の方に視線を向けると、ちょうど電話を終えてパソコンに向かっていた。
「あ、ちょっと待ってくださいね」
成瀬は電話の子機を持ったまま平間の方へ向かう。
「平間さんすみません。特別企画の投稿数、各区別の集計数ってすぐ出せますか?」
「ああ、はい。前日までの分でよければ」
「すみません、俺宛にチャットで送ってください」
「分かりました」
成瀬が自席に戻る時には、すでに各区別の投稿数がチャットの画面に並んでいた。
投稿の総数のうち、あざみ区がひとつ飛び抜けており、残りの緋衣区と
「……今、送ってもらって見てますけど。皐月区が少ないと言うか、あざみ区が異様に多い感じなんですね」
《そーなのよ。おかげで載せられるレベルのものがなくてさぁ》
そのせいもあるのか、確かに皐月区が担当した記事はアクセス数が少なく、皐月区エリア編集部では特集企画に対してのモチベーションがかなり下がっているらしい。
《んで、あざみ区は投稿数が異様に多い上に、その他の区や場所不明も担当してるでしょ? だからその『その他』の分を、こっちに回してもらえないかなーって思って》
確かに、あざみ区の投稿を捌くだけでも手一杯な現状、きちんと精査ができていない『その他』の分を他区が請け負ってくれるだけでもありがたかった。
しかしこれはある意味ネタを提供するようなものなので、残りの二区に文句を言われたらおしまいだ。
「なるほど。うちは構わないですけど、緋衣区と星見区に相談してみないと……」
《ああ、そこは大丈夫! もう了承済みだから。あっち二つは名所がらみのネタが多くて、困ってないらしいし》
緋衣区には歴史的にも有名な名所があり、星見区にも観光客の絶えない湖がある。そこには有名な場所らしい伝説や曰くもあるため、地域性のある『怖い話』が比較的多いらしい。
妙蓮寺はこちらに連絡してくる前に、他の二区にも相談して手を回していたようだ。
《こっちは新興住宅地がメインのエリアだし、そういう深い歴史とかないからさ……》
「なるほど、そうなんですね。うちは山にまつわる話が多くて」
《あー、それで多いのかぁ》
皐月区は、あざみ区でも投稿の多い七摘山や傳々山の向こう側にある区で、綺麗に整備された街並みが美しいベッドタウンである。
どうやらあの山々で起こる不可思議なことは、反対側にまでは影響を及ぼしていないらしい。
「事情はわかりました。後でその他の投稿については、昨日までの精査済みリストを送るのでお願いします。部長には俺から伝えておきますので」
《助かるよ! よろしくぅ》
電話を終えた成瀬は、改めて区別に集計した投稿数のリストを眺めた。
「……数が多いな、とは思っていたけど、こんなに違うなんて」
緋衣区と星見区の数字を合わせても、あざみ区の数字に届かない量である。
そしてそんなあざみ区の投稿は、七摘町周辺のものばかり。
つまりそれくらい、七摘町で起きる怪現象が多いと言うことになる。
「あの町に、なにかあるんだろうか……」
パソコンの画面を見つめたまま、成瀬は小さく呟いた。
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