長編

🗞️K新聞の禁忌欄

横峯市内で体験した「やってはいけない話」を集めています。

地方紙K新聞が運営するメディアサイトの若手ライター成瀬は、夏向けのホラー特集「K新聞の禁忌欄」の企画リーダーに抜擢された。横峯市東部エリアから募集した怖い体験や、地域の“やってはいけないこと”を取材・検証して記事にしていく企画。 たくさんの投稿の中から記事化を進めていくにつれ、編集部や成瀬自身の身の回りで不可解な現象が発生するようになりーー。 怪談蒐集からはじまる連作形式の長編ホラー。 *第2回創元ホラー長編賞に参加中の作品です*ホラー / ミステリー / 現代 / 怪談蒐集

第十八話 禁忌の外

「もうすぐよ!」
 辻堂の言葉に、成瀬は道路沿いに並ぶ背の高い塀を見上げる。塀の内側にある、大きな塔や建物の立派な屋根がこちらを覗いていた。
 衛宮町の外れにある、厄除けで有名な蒼蓮寺。
 ぐるりと囲む塀沿いの道を大きく周り込み、車は山門近くの駐車場で停止する。
 結局、追いかけてくる山女を探しては見張るのに忙しくて、事前連絡の電話はできなかった。
「急に行って大丈夫なんでしょうか?」
 時間はすでに夕方。お寺自体は開いてるものの、祈祷などの受付はもう終了している時間のはず。
「仕方ないわよ、緊急事態なんだから!」
 どうやら辻堂は、お寺の本堂や宿坊に駆け込んで、無理にでもお願いするつもりらしく、妙に息巻いていた。
「とりあえず、中に!」
 三人は急いで車を降りて、山門へ向かう。お寺や神社の境内など、神聖な場所なら山女も入って来られないような気がしたのだ。
「……あ!」
 山門に辿り着く前に、成瀬は小さく声を上げて立ち止まる。
 お寺の近くには、山門に続く参道が小さな商店街となっている場所があるのだが、一番手前に構えるお店の『営業中』と書かれた大きなのぼりの後ろに、赤い服の女が立っていたのだ。
 お店の軒下くらいまであるのぼりよりも背は高く、のぼりの上から顔を出してこちらを覗き込んでいる。
「くそっ」
 結局、移動中どんなに見張っていても、彼女を振り切ることはできなかった。
 身体を山女のほうに向けたまま、成瀬は少しずつ後退るようにして山門へ近づく。
「成瀬くんっ!」
 あと少しのところで、痺れを切らした辻堂に腕を引っ張られ、転がるようにして山門の下へ入り込んだ。
 ――しまった。
 視線を逸らしてしまった、と慌てて顔を上げる。
 すると、山門のすぐ手前には、聳えるような赤い影。そのまま視線を上げて、成瀬は驚愕した。
「……ヒッ」
 三〜四メートルはある山門と変わらない高さから、赤いワンピースの女が血走った目でこちらをじっと見下ろしている。
 少しずつ後ろに下がってみたが、どうやらそれ以上は近づいてこないようだ。
「成瀬さん、行きましょう!」
「う、うん」
 座り込んだままの成瀬を、星川と辻堂が引っ張るようにして立たせると、三人は境内を駆けて本堂へ向かう。
 夕暮れ時。参拝客もまばらな敷地内の、本堂に通じる大きな階段の手前に、煌びやかな法衣をまとったお坊さんが一人、神妙な面持ちで待ち構えていた。
 坊主頭にシワの多い顔と、恰幅のいい身体。
 自分たちの何倍も年齢を重ねたと見える風体に、この人がこの寺の住職だ、という確信を持った。
「あ、あの! 和尚様、あれ、あれ!」
「助けてください!」
「ずっと追いかけられてて!」
 三人は駆け込むように飛びついて、それぞれ懸命に説明しながら山門のほうを指差す。
 すると和尚は、成瀬の両肩に手を添えて、静かな声で言った。
「落ち着いてください。アレはここまで入れませんから」
「……え」
「ほら、ご覧なさい」
 安心させるように目を糸のように細めて笑った和尚が、寺の出入りでもある山門を指すので、つられてそちらに視線を向ける。
 山門の向こう側に、やはり寸尺のおかしい、奇妙なまでに大きな赤い服の女が立っていたが、視線を何度逸らしても、そこから動く気配はない。
 そして不思議なことに、境内にはまばらに参拝客がいるものの、全く気付いている様子がなかった。山女の脇を通り抜けてお寺から出ていく人もいたぐらいだ。
 やはり、自分たちにしか視えていないらしい。
「さあ、こちらにいらしてください」
 和尚はそう言って、本堂に繋がる階段を上がっていくので、成瀬たちは案内されるまま着いて行った。
 本堂の手前にある大きな賽銭箱の横を通り過ぎ、脇にある上り口で靴を脱ぐよう促される。そこからご本尊の置かれている、畳敷きの内側に入ることができた。
 本堂の内部は煌びやかな金装飾が天井から下がり、奥にあるご本尊も立派に飾られ祀られている。立っているとなんだか妙に恐縮してしまい、成瀬たちは一番手前の畳の上に並んで正座した。
 和尚は三人の前に座ると、法衣の内側から大きな数珠を出し、両手で擦り合わせるようにジャラジャラと音を立てる。
「あ、あの。どうして俺たちがくるって、分かってたんですか?」
 成瀬が思い切って尋ねた。
 電話で連絡もできなかったのに、まるで出迎えるように本堂の前で立っていたのが不思議だったのだ。
「妙な気配が近付いているな、と思いましてね。衛宮神社の神主さんからも妙なものが彷徨いていると聞いてましたから、とうとう此処にも来たのだろうなと」
 和尚の言葉に、三人は顔を見合わせる。
 成瀬としては神社の神主に勧められた人だし、もしかしてこの和尚ならあの山女をなんとかできるのでは、と妙な期待もあった。
 しかし、和尚はジャラジャラと数珠を鳴らしながら、グッと黙ったまま。
 しばらく本堂内に数珠の音を響かせた後、和尚は眉間にシワを寄せた表情で成瀬のほうを見た。
「……これは、厳しいですね」
「え?」
 戸惑う成瀬に、和尚は険しい表情のまま告げる。
「これはとても難しい。難しいですが、できる範囲でやってみましょう」
 和尚はそれから本堂内のご本尊前に設けられた、木魚などの仏具の並ぶスペースに座り、厳かに読経を始めた。
 三人は和尚の背中に向かってそれぞれ手を合わせ、目を閉じる。
 読経の合間に、時折大きな丸鉢のようなもの――磬子けいすが叩かれ、おりんのようにゴォーンと甲高く響いていた。
 何も考えず、静かに読経を聞いていた成瀬だが、突然頭の奥に突き刺すような痛みが走る。
「……うっ」
 身体に力が入らなくなり、前に崩れ落ちるように両手をついた。
「成瀬くん?」
 様子のおかしいことに気付いた辻堂が、慌てて成瀬の背中をさする。しかし、頭に割れるような痛みが走る度に力が抜け、座っていることさえも難しい。
 ――くそ、なんだこの痛み。
 辻堂や星川の呼びかけが、だんだんとぼやけるように聞こえなくなり、ゴォーンと響く甲高い磬子の音だけになった辺りで、成瀬の視界は真っ暗になった。

 ◇

 ふと気付くと、木の板の上で目覚めた。
 辺りに明かりはないのか薄暗く、異様に寒い。
 周囲を見回すと、先ほどまでいた蒼蓮寺の煌びやかな本堂内とは打って変わり、粗末な木の板を組み合わせて作った小屋の中のようだ。
 視界に入った窓も、外に鉄柵がはまっていて、そこを割っても出ることは難しい。
 訳がわからず自分の両手をみると、妙に痩せ細った女の手になっている。身体も真っ黒なワンピースを一枚着ているだけ。
 先ほどから後頭部にズキズキと痛みが走っているので、何気なく触れてみると、ベッタリとした液体がついた。暗いので分からないが、おそらく血だろう。
 早くここから出なければと立ち上がり、室内を見てまわる。
 ベッドはないが机と椅子はあり、キッチンはあるが冷蔵庫などの家電はない。まるで引っ越しの途中のような、中途半端さだ。
 一体何のための小屋なのだろう。
 そんなことを考えながらさらに見て回っていると、引き戸になっている玄関扉を見つけた。
 頑張って押したり引いたりしてみたが、はめ殺してあるのか開かないようになっている。
 この光景を知っているような気がして考えて、思い出す。
 そうだ『厄囮の家』だ。
 ようやく思い至ったその時、窓の外に人影が見えた。それなりの年齢の男性のようだ。
 駆け寄って窓を開けようとしたが、こちらもはめ殺しになっており、開けることすらできない。窓を叩き、大声で叫ぶ。
「お願いします! 出してください!」
 自分の発したその声は、聞いたこともない女性の声になっていた。
 違和感を感じながらも叫び続けていたが、窓の外にいた男がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていることに気付いた。
 男の顔が見えた途端、心の底から湧き立つような憎悪と怒りが込み上げて堪らない。
「私をここに入れたのはあなたね!?」
「だったらどうする? 出られもしないくせに」
 壁が薄いせいか、どこかに隙間でもあるのか、少し小さくはあるが男の下卑た声がしっかりと聞こえる。
「ここから出してください! あの子が、あの子が待ってるのに!」
 頭の中に小学生くらいの、黒髪の女の子のイメージが浮かぶ。この身体の持ち主の娘だろうか。
「あぁ、安心しろ。お前の娘はうちで引き取って育ててやる。毎日『お前のお母さんは、お前が邪魔だからお前をうちに捨てていったんだ』と言い聞かせてな」
「なんてデタラメを!」
「デタラメを言ったのはお前のほうだろう! 村の奴らをたぶらかして、オレ様の土地にこんな気味の悪いものを建てさせやがって」
 ドンッと外側から音がした。おそらくこの男が壁を蹴飛ばしたのだろう。
「デタラメじゃありません! こうでもしないとこの村にはもっと厄災が……!」
「まったく、それだけでも腹立たしいというのに、お前ときたら! 夫を亡くして困っているのを面倒見てやったというのに、このオレを拒みやがって! 見た目がいいだけの悪女め!」
「感謝はしていますが、奥様を裏切るようなことはできません!」
 頭の中に、ベッドや家の裏など、人気のない場所に連れ込まれそうになった時の様子が浮かんできて、胃の中のものが込み上げそうになる。
「……ふん、お前がダメなら娘を仕込むまでだ。顔だけはお前に似て美人になるだろうからな」
 薄暗くてもわかるニタニタとした笑顔に、背筋がぞわりと粟立った。
「なんておぞましい……!」
「ふん、なんとでも言っていろ。お前は集まってくる厄災とやらと一緒に、そこで野垂れ死ぬんだからな!」
 そう言い捨てた男の高笑いがゆっくりと遠ざかり、やがて何も聞こえなくなった。
 外を吹き荒れる風がビュービューと唸り、やはり隙間があるのか、吹き込んだ風で長い黒髪がふわりと舞い上がる。
 胸が苦しい。苦しくて、苦しくて、悲しい。
「……ごめんなさい、ごめんなさい」
 ポタポタと落ちる涙が、木の板に小さな円をつくる。
 そのまま膝をついて崩れ落ち、床に伏せて泣くことしかできない。
「貴方の成長を、ずっとそばで見守りたかったのに……」
 母親として、子どもの成長だけが生き甲斐であり、楽しみだった。
 願いは、それだけだったのに。

 ◇

「……ぅ」
 ゆっくりと目を開くと、眩しい世界が広がっていて、心配そうに覗き込む辻堂と星川の顔が見えた。
「成瀬くん!? よかった、気が付いたのね」
 周囲を見回し、身体を起こして自分の両手を確認する。
 今いるのは蒼蓮寺の本堂内にある畳の上で、両手もちゃんと見慣れた自分のものだ。
 読経はすでに終わっているらしく、和尚がこちらを向いて座っている。
「あの、成瀬さん。これ使ってください」
 星川がハンカチを差し出してきた。どうやら顔中が、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっているらしい。
 遠慮なくハンカチで顔を拭いていると、和尚がゆっくりと口を開く。
「眠っている間に、ご事情はお伺いしました。山門にやってきていたアレは、貴方に伝えたいことがあったようですね」
 全てを見透かされているような、不思議な感覚。衛宮神社の神主が、ここを紹介した理由が分かったような気がする。
「……夢を、見てました」
 成瀬は和尚と二人に夢の内容を話した。
 黒い山女の起源となった巫女が、厄囮の家に閉じ込められ、死を待ちながら我が子に謝罪する夢。
 彼女の願いは、ずっと変わらない。
「山女は、我が子をただ見守りたいだけ、だったんですね……」
 成瀬の話を聞いていた和尚は、うんうんとゆっくり頷く。
「そう、母親はいつまでも子が可愛い。だからこそ、ずっと見守りたいと強く願った気持ちが、あのような姿になったのでしょう」
「だから色んな母親の身体を借りて、子どもを攫うんですね。すぐ近くで、自分の手元で見守るために」
「おそらく、彼女にとっては七摘山が『我が家』なのでしょう。子を攫うのは、母親としてただ家に連れ帰っているだけ、なのだと思います」
 星川の言葉を補足するように和尚が言うと、辻堂がなるほど、と頷いた。
「そうか。だから成瀬くんは例のアパートに連れて行かれたのね。赤い山女のまどかさんと成瀬くんにとっては、あそこが『我が家』だったから!」
「……じゃあ、連れ去られた人が、帰ってこないのは?」
 辻堂の説に、星川が両手をギュッと握りしめる。
「見守るだけなら、連れ去って殺したりしないなら、どうして連れ去られた人は、帰ってこないんですか!?」
「それは……」
 成瀬は何も言えなかった。星川の兄は連れ去られたまま、今もまだ帰ってこない。
 星川を宥めるように、和尚はゆっくりと静かな声で話す。
「連れ去られた側の立場で考えてみてください。連れ去られて、目が覚めたら真っ暗な森の中。近くには恐ろしい怪異がじっと自分を見つめている。――そんな状況に置かれた時、星川さんならどうなると思いますか?」
「……パニックになって、逃げ出すと思います」
「そうですね、きっとほとんどの人が同じような行動をとるでしょう」
 和尚はゆっくりと頷いてから続ける。
「そして七摘山は、ハイキングコースなどの初心者向けのコースもありますが、整備されていない場所は崖も多く、川も流れていて大変危険な場所でもあります」
「……和尚様、詳しいんですね」
「私も登山は好きでして。若い頃はご供養や修行も兼ねて、かの山に登ったりしておりました。死者の多い山ですから」
 どうやらこの和尚は、見た目以上に健脚の持ち主なのかもしれない。
「山女の、彼女の本質は見守ることだけですから、そうやって『我が子』だと思ったものが例え逃げ出して死にそうになっても、ただ見ているだけでしょう。そして死んでしまったら、次の『我が子』を探す。それを繰り返しているのです」
「だから兄は、帰ってこないんですね」
 和尚の言葉に、星川がゆっくりと項垂れる。
 山女は我が子を『家』に連れ帰り、片時も離さず、そばでただ『見守る』だけ。
 おそらく幼い成瀬を父が母から引き離したのは、彼女が『育てる』ことをせず、『見守る』ことしかしなくなったことが大きな要因ではないだろうか。
 確かにあれは母の姿をしていたが、本当の『母親』にはなれない、やはり偽物なのだ。
「……山女を、成仏させたり、祓ったりすることって、できないんでしょうか」
 成瀬が縋るように尋ねたが、和尚は困ったように眉をひそめ、首を小さく横に振った。
「人の魂であれば御仏の元へ送ることもできましょうが、アレはすでに『執着』や『想い』が形を持ったものに過ぎず、そこに魂はありません。すでに『現象』に近い存在になってしまったものを、人の手でどうこうすることはできませんから」
「『現象』……?」
「ええ。自然災害と同じ、条件が揃うことで発動してしまう厄介な『現象』です。だからこそ、彼女の特性を知り、同じ『現象』に遭遇しても対処できるようになるしかないでしょう」
「……そんな」
 辻堂が両手を組んで呟く。
 自分たちに害をなすものと分かっていても、それを無くす方法は存在せず、ただ対処していくしかできないなんて、絶望に近い。
「和尚様でも祓えないなんて。それじゃオレたち、ここから出られないんですか……?」
「いいえ、消滅させることはできませんが、退け、追い払うことならできます。『現象』になったとはいえ、煩悩の塊のような存在ですから、それを消滅させる神仏の御力は苦手なのでしょう」
 和尚がそう言って、本堂の外を指差した。
 振り返ると、ガラスと網のような格子の向こう側に賽銭箱があり、その先に本堂の出入り口、そしてそのさらに奥のほうに山門が見える。
 外はすっかり暗くなっていたが、明かりを灯された山門周辺に、あの巨大な赤い山女の影はなかった。
「御仏の御力を借りて、可能な限り遠ざけました。私の力でも、これが精一杯です。しばらくは姿を見せないでしょうが、現れるとされる条件さえ揃えば、再び姿を見せるでしょう」
 和尚は成瀬のほうに向き直ると、両手を取ってじっと目を見つめる。
「貴方にとっては『母親』だったものですから、考えないようにするというのは難しいでしょう。ですから可能な限りかの山や町から距離を取り、なるべく一つ所に留まらず、影が差しても気付かないふりをしてください。それくらいしか貴方にできることはありません」
 山女はもうそういう『現象』であり、逃げることはできない。
「……分かりました」
 成瀬は静かにそう答えた。

 ◇ ◇

【K新聞の禁忌欄 企画終了のお知らせ】
 ライター:ヒロ部長

 いつも閲覧ありがとうございます。
 編集部の大幅な再編により、特集企画の継続が難しくなったため、今回の更新をもって終了いたします。
 たくさんのかたにご協力をいただきました。
 この場を借りて御礼申し上げます。
 ありがとうございました。今後もK新聞の特集企画にご期待ください。