長編

🗞️K新聞の禁忌欄

横峯市内で体験した「やってはいけない話」を集めています。

地方紙K新聞が運営するメディアサイトの若手ライター成瀬は、夏向けのホラー特集「K新聞の禁忌欄」の企画リーダーに抜擢された。横峯市東部エリアから募集した怖い体験や、地域の“やってはいけないこと”を取材・検証して記事にしていく企画。 たくさんの投稿の中から記事化を進めていくにつれ、編集部や成瀬自身の身の回りで不可解な現象が発生するようになりーー。 怪談蒐集からはじまる連作形式の長編ホラー。 *第2回創元ホラー長編賞に参加中の作品です*ホラー / ミステリー / 現代 / 怪談蒐集

第八話 山女

【事故現場で手を合わせてはいけない】
 ライター:ほたる

 高校生の頃のことなので、もう何年も前の話です。
 学校からの帰り道、通学路にある交差点に花束が置いてあるのに気付いたんです。
 今朝は何もなかったし、この辺で事故があったことも聞いてないので、もしかしたらここで亡くなった方の命日かなにかだったのかもしれません。
 横断歩道の信号が赤だったので立ち止まり、何気なく置かれている花束をよくよく見てみると、写真が添えてあったんです。
 ちょうど一歳くらいの赤ちゃんを抱いた、女性の写真でした。
 写真に写ってるお母さんが亡くなったのか、もしかして二人とも亡くなったのか、それは分かりません。
 ちょうど学校で交通安全のためのビデオを見せられた後で、すごく可哀想に思えたんです。事故で亡くなるなんて、きっと無念だっただろうなって。
 ちょうど人通りが少なかったので、私はその場にしゃがんで手を合わせました。
 どうぞ安らかにお眠りくださいって。

 その日の夜、夢を見ました。
 夢の中でいつもの通学路を歩いていると、道の向こうに赤いワンピースを着た、見知らぬ女の人が立っていたんです。顔をよーく見てみると、あの交差点に花束と一緒に置かれていた写真の女性にソックリでした。
 そして私に「〇〇ちゃ〜ん、〇〇ちゃ〜ん」って言いながら、ゆっくりゆっくり近寄ってくるんです。
 〇〇の部分は良く聞き取れませんでしたが、私じゃない名前を呼んでることだけは分かりました。
 あまりに怖くてすぐに逃げだしましたが、ずっと後ろから追いかけてくるんです。
 ハッと目が覚めて、ああよかった夢だった、と胸を撫で下ろしました。
 時間は深夜の二時くらいだったと思います。
 家族もみんな寝てしまっているようで、シーンとして静かでした。
 そのせいか、小さく聞こえたんです。
「〇〇ちゃ〜ん、〇〇ちゃ〜ん」
 夢と全く同じ声でした。
 辺りを見回しましたが、薄暗い室内には誰もいません。よくよく耳をすませると、窓の外から聞こえているようでした。そっとそちらを窺うと、カーテンの隙間から見えた窓の向こうに、ぼんやりと赤い色が滲んでいます。
 本当に怖くって、布団を被って目を瞑りました。
 そして気付いたら、朝になっていたんです。
 翌朝、窓の外を確認すると赤いものは何もありませんでした。
 あまりに怖かったので、その日から私は花束のあった交差点を使わないルートで登下校するようになりました。少し遠回りになりますが、花束がまたあったら嫌だったので。
 それなのに、夜になると同じ夢を見るんです。
 通らないようにしていた交差点の近くに立っていて、赤い女が向こうからゆっくりやってきて、「〇〇ちゃ〜ん、〇〇ちゃ〜ん」と言いながら追いかけてくる夢。
 何度も聞いてるうちに、何と言っているのかも分かってきましたが、やっぱり私の名前ではありませんでした。
 数日経ったある日、同じように夢を見ていた私は耐えきれなくなって、「わたし〇〇ちゃんじゃありません!」て、夢の中で叫んだんです。
 するとパッと目が覚めました。
 いつもはもっと夢が続くのに、と不思議に思っていると、隣の部屋にいた姉が驚いた顔をして入ってきました。
「ちょっと、大丈夫?」
 姉は毎晩遅くまで試験勉強をしており、普段はイヤホンをしているのですが、その日はたまたまイヤホンの調子が悪く、イヤホン無しで勉強していたそうです。すると隣の部屋から叫ぶような声が聞こえてきたので、何かあったのかと思い、駆け込んでくれたのだとか。
 イヤな夢を見ていたことを伝えると、姉は呆れたように言いました。
「本当に変な夢を見てたのね。あんたの名前は〇〇じゃないのに」
 どうやら私は、現実でも同じように叫んでいたようです。
 そんなことがあってから、ぱったりと女の出てくる夢は見なくなりました。
 可哀想だからって同情してしまったせいなんでしょうか。今後は気を付けたいと思います。

 投稿者のお話をもとに、該当の交差点で起きた事故について調べたところ、今から二十年以上前、三十代の女性が信号無視をした車にはねられて、死亡する事故があったようです。亡くなった女性には、当時五歳になるお子さんがいたのだとか。
 幼い子どもを残して亡くなったので、もしかしたら投稿者の方を自分の子どもだと思って追いかけてきたのかもしれません。

 ◇ ◇

「……うん、今回も悪くないな」
 休日。成瀬は自宅のパソコンから、サイトの感想コメント欄に追加される感想を見ながら微笑んでいた。
 特集企画の掲載が始まって二ヶ月。
 投稿フォームには『怖い話』の投稿が減り、代わりに記事に関しての感想が大量に寄せられるようになってきたため、K新聞のサイトでは記事別に読者が感想を書き込める『コメント欄』を設置した。
 もちろん、関係のないスパムや誹謗中傷コメントが書き込まれることもあるが、それらはシステム側でうまく制御し、きちんとした感想だけがサイト側に表示されている。
 今回の成瀬の記事には「めちゃくちゃ怖かった」「私も手を合わせないようにしようと思う」と言った感想がたくさん書き込まれていた。
 怖い話の記事に「怖かった」という感想がつくのは、素直にありがたい。
 一通り感想コメントのチェックを終えると、今度は星川から譲り受けた、星川の兄が残したという『オカルト研究会』のレポートに目を通す。
 特集向けの投稿に『山女』と思われる話が届いていたからというのもあるが、成瀬自身が個人的にも『山女』について興味が湧いてきたのだ。
 七摘町、そして七摘山や傳々山など、その近辺で起きている不思議な現象は、どうにも女の幽霊が多い。その女の幽霊、お化けのいくつかは『山女』の仕業ではないのではないだろうか。
 下手をすれば、全ては同じお化けが起こしているのでは、と思うほどだ。
 しかし、記事にした話や未公開の話の中でも、女の幽霊には二種類いる。黒い女と、赤い女だ。
 オカルト研究会のレポートの方でも、七摘町に出てくる幽霊には黒い女と赤い女がいることを指摘している。それ以外だと、性別不明の子どもか女の子の幽霊しかいない。
「お化けもオシャレで着替えたりするとか? ……そんなわけないか」
 一般的に言われているお化けや幽霊は、基本的に同じ姿のままらしいので、ありえない話だ。
 成瀬は自分の独り言に自分で笑って、氷を入れてキンキンに冷やしたアイスコーヒーを飲む。
 一通りの家事を終え、天気は良いが暑さの厳しい午後。
 調べて、取材して、文章にする。趣味らしい趣味もなく、結局仕事に関連した読み物に没頭している辺り、今のようなライター仕事は自分の天職なのだろう。
 不意に玄関の方から、キィ……と小さな金属の擦れる音がした。
 そちらに視線を向けると、短い廊下の突き当たり、玄関ドアの中央下部にある、新聞受けが開いている。
 安い物件のせいか新聞受けカバーがなく、そこが開くと外の景色が丸見えなのだ。長方形の隙間からは、共用の外廊下についている柵と、その向こうに広がるよく晴れた午後の住宅街まで見えている。
「……またか」
 衛宮神社でお祓いをしてもらってからしばらくは起きていなかったのだが、ここ最近になってまた開くようになってきた。やはりバネの部分が壊れているのだろうか。それとも――。
 元に戻すのも面倒だ。深いため息をついて視線を逸らしたタイミングで、一瞬だけその光が暗くなる。
 足音はしなかったが、誰かが外廊下を通っていったようだ。
 お祓いをしてくれた神主の言葉を思い出す。

〈なるべく関わらず、距離を取るようにしてください〉

 嫌なもの、悪いもの、奇妙なことからは距離をとる。
「……無視無視」
 成瀬は立ち上がり、部屋と廊下の境まで行って、普段は開けっぱなしの中扉を閉めた。
 しかし、すりガラスの扉なので、玄関の辺りが四角くぼぉっと光っているのが分かってしまう。あまり意味がないように思えるが、開けっぱなしよりはマシだろう。
 それから成瀬は音楽をかけて、中扉に背中を向けた。

 ◇ ◇

【なだらかな山でも注意を怠ってはいけない】
 ライター:ねこ鍋

 もう三十年くらい前の話です。
 私は山登りが趣味で、よく友人たちと上りに行っていました。
 この日は、とある山に友人たち数名と一緒にハイキングに行ったんです。
 その山には上級者向けのコースもありますが、なだらかなハイキングコースもあり、比較的安全で歩きやすいルートのわりに景色が良く、人気のコースでした。
 その時のメンバーに、久しぶりに山に行く友人のAさんがいました。子どもを産んでから久々の山登りなので、リハビリも兼ねてのんびり行けるハイキングコースがいいねとなったので、そちらを選んだんです。
 のんびりと自然の景色を楽しみながら、中腹にある広場まで行き、そこで持ち寄ったお弁当を食べてから下山するという、日帰りコース。
 行きは特に大きな問題もなく、帰りもこのまま何事もなく終わると思っていたのです。
 しかし、久々に山に登ったAさんは、少しはしゃいでいたんでしょうね。
 写真を撮るのに夢中になっていたAさんは「もう少し、もう少し」と絶景ポイントを探すようにして、コースを外れていきます。
「Aさん、それ以上は危ないよ」
 そう声をかけましたが、Aさんは「大丈夫だから」と言って聞きません。
 Aさんは妊娠出産で山登りを控える以前は、確かに上級者コースにも登っていたベテランです。だから、少し慢心していたのだと思います。
「あっ」
 Aさんは短く叫ぶような声を上げた後、一瞬にして姿を消してしまいました。
 さっきまで、コースから外れた少し奥にいたと思ったのに。慌ててAさんがいた場所に近づくと、そこは崖になっていました。
 どうやらAさんは足元を確認せずに進み、崖から落ちてしまったようです。
「Aさん!」
 崖のフチから身を乗り出してみると、崖下にある川の近くでAさんが倒れているのが見えました。
 ところどころ木の枝が折れていたので、引っかかりながら落ちたのでしょう。しかしそれでもかなりの高さを落ちたせいか、倒れたままのAさんはピクリとも動きません。
 すぐに救助隊に連絡し、私たちも川沿いへ出る道へ向かいました。
 私たちがたどり着いた時には、Aさんは気が付いていたようで、身体を起こして座り込んだまま、ぼんやりと森の奥を眺めています。
「ああよかった、無事だったんだ!」
 私たちが声をかけると、こちらを向いてにっこり笑います。
「ごめんなさい、気を付けてたつもりだったんだけど」
「もう本当だよ! 心配したんだから!」
 私たちはAさんに抱きついて喜びました。ただ、Aさんは足を骨折していたようで動けず、救助隊が来てくれるのを一緒に待つことに。
 その時、Aさんは「黒い女の人が助けてくれたの」と言って、こんなことを話してくれたんです。

 木の枝を何本も折りながら落ちていって、思い切り斜面に身体を叩きつけられて。そのまま転がるように川辺まで落ちたの。
 意識は朦朧としてるし、身体中がもう痛くて痛くて、声が出ないくらいに痛かった。肺の辺りが苦しくて、そのうち身体全体が寒くなってきて、ああこのまま死んじゃうんだって、思ったの。
 可愛い息子を置いて、死にたくないって心の中で泣いてたわ。
 そしたら、川の向こう側から、真っ黒なワンピースを着た、すごく大きな女の人がやってきた。
 彼女は音もなくゆっくり近づいてきて、すぐ近くまで来ると、今度は顔をぐぐっと私の顔の目と鼻の先まで近づけた。青白い肌に長い前髪、唇はカサカサで紫色をしていたけど、目の位置には真っ黒な穴が空いているだけ。
 すごく怖いと思ったけど、逃げることもできないし、もうダメだ、と思った次の瞬間、彼女はゆっくり私の頭を撫でてくれた。
 すると、突然すぅーっと息苦しさが無くなって、そしたらだんだん寒かったはずがなんとも無くなっていって。
 おかげで意識もハッキリしてきて、起き上がれるくらいになった。
 その頃には黒い女の姿はなくなっていて、どこに行ったんだろう、と思っていたら、あなたたちが来てくれたのよ。

 色々と調べてみたところ、かなり年配の人たちしか知らなかったのですが、その山には真っ黒な姿をした『山女』がいるという伝承があるそうです。Aさんが出会ったのは、その『山女』だったのかもしれません。
『山女』は居なくなった我が子を探して、山中を彷徨っている存在だそうです。もしかしたらお家でお子さんが待っているAさんのことを気の毒に思い、介抱してくれたのかもしれませんね。

「その後、そのAさんはどうなったのでしょうか?」
「骨折していたし、しばらくは入院していたわ。お見舞いに行ったら、息子さんを抱っこしてて、幸せそうだったわよ」
「じゃあちゃんとお子さんと会えたんですね」
「ええ、そうなの」

 もし可能であれば、Aさんのお話を聞きたいので連絡が取れないかと尋ねましたが、その後引っ越してから交流が減って音信不通になってしまい、現在どうしているかは分からないそうです。

 ◇ ◇

「人に優しかったり、正義感のある幽霊って、やっぱり人気なのねぇ」
 編集部の中央にあるモニターの、リアルタイムに更新されるアクセス数を眺めながら、息を吐きつつ辻堂が呟く。
 いつの時代も、どんなジャンルでも、人情話や勧善懲悪は需要が高い。きっとそれはホラーの分野でもそうなのではないだろうか。
「七摘山のハイキングコース、私も行ったことあるけど、川沿いにある崖って結構高さあるよね?」
 一緒にモニターを見ていた久地に辻堂が尋ねると、そうなんですよぉ、と大きく頷いた。
「記事にする時に調べてみたんですけど、二十メートルくらいはあるみたいですよ」
「よくそこから落ちて生きてたわねぇ」
 木の枝のおかげで多少は衝撃が軽減されていたとはいえ、普通の人間なら死んでいる高さである。
「本当ですよねぇ。生きてただけでも幸運なのに、さらにお化けにまで助けてもらえるなんて、宝くじに当たるよりスゴイですよ」
「そうね。でもそのおかげでAさんはまたお子さんに会えたわけだものねぇ」
 死の縁から生還し、心から願っていたことが叶うなんて、それこそあり得ないほどの幸運だ。
「もしかして『山女』は山の神様的なやつなんでしょうか?」
「あー、山の守り神みたいな?」
「そうそう!」
 モニター前で楽しそうに『山女』について考察する辻堂と久地に、成瀬は呆れたような声を上げる。
「きっと、そういうんじゃないと思いますよぉ」
「なーんでそんなことが分かるのよぉ」
「これですよ」
 ムッとして口を尖らせる久地に、成瀬は星川兄の残したレポートを掲げてみせた。
「あ。これって、例の警告メールしてきた大学生から貰ったってレポート?」
「そうです」
「あぁ、そういえば成瀬くん、このレポートにも『山女』のことが書いてあるって言ってたわね」
 辻堂の語る隣で、久地が成瀬の掲げたレポートを奪い取って中身をパラパラとめくる。ビッシリと書かれた文字と写真の熱量に、うっと不快感を示していた。
「はい。オカルト研究会の残したレポートにも『山女』に関する記述があったんですが、こっちには真逆のことが書いてあるんです」

 ――いわく。
 七摘山の山中で友人がケガをした。連れ合いは一人では無理だと助けを呼びに山を降り、友人が休んでいる川辺の近くまで人手をつれて辿り着く。嬉しそうにこちらに手を振っていた、その後ろ。縦に三〜四メートルはありそうな大きさの、真っ黒い人影が現れた。
「いかん『山女』じゃ!」
 それは人を攫って食うと言われている。
 誰かが叫び、みな慌てて駆け寄ったが、間に合わず。友人の首に黒くて長い髪がぐるぐるに巻き付いて、そのまま森の奥へと引き摺っていった。
「たすけてぇ!」
 恐ろしい叫び声は山にこだまして、そのうち消えた。

「ええ……」
 成瀬が久地から取り返したレポートの、付箋をつけたページを読み上げると、辻堂と久地は抱き合うようにして震えていた。
「この話で犠牲になった人も、お子さんのいるお母さんだったらしいんですけど、なにが違ったと思います?」
「えー、なんだろう?」
「ケガをしてたのは同じなんだよね?」
 二人が少し残念そうな顔で考えてみるが、残念ながら状況はほぼ同じとしか思えない。
「崖から落ちた子どものいる母親で、その場から動けないほどのケガをしていた。それなのに片方は介抱されて、もう片方は連れ去られた。結局助けた基準は、分からないんですよ」
 久地の書いた記事では『優しいお化け』のような登場をした『山女』だが、その実態はそうとも限らないようだ。
「じゃあ『山女』は気まぐれってこと?」
「そうかもしれません」
「レポートに書かれてる話は、いつ頃の話なのかしら」
 辻堂に問われ、成瀬は再びレポートをめくる。
「……えーっと、かなり古いですね。五十年以上は前の話みたいです」
「それならクマの可能性もありそうだね」
 まるで成瀬の答えに付け加えるような台詞が背後から降ってきた。振り返ると、外出から戻ってきたらしい奥沢が微笑んでいる。
「奥沢部長! おかえりなさい」
「七摘山って、クマ出るんですか?」
「うん、昔は出たらしいよ」
 問われた奥沢は、成瀬の持っていたレポートを取り上げながら答えた。
「だから『山女』のせいで行方不明になったとされるものの一部は、クマに遭遇してしまった、という可能性も考えられるね」
「確かに、山の中にいる時に、二本足で立つクマを見たら、大きな黒い人の形に見える可能性もありますもんね」
 人間を襲った経験のある野生動物ならば、山に現れた人間を餌として連れ去る可能性はある。
 もしかして、オカルト研究会のメンバーを連れ去ったのも、単にクマに襲われただけなのでは?
「怖い話の真相は、案外そんなもんだったりするんだよ」
 奥沢の話を聞いた成瀬は、トイレに行くと言って編集部を出ると、オフィス内にある休憩スペースに移動し、星川に電話を掛けた。
「もしもし、K新聞社の成瀬です」
〈あ、どうも。ど、どうしたんですか?〉
 電話の向こうは話し声の騒がしい音が後ろに聞こえる。雰囲気からして大学の学食かどこかだろうか。
 成瀬はガラス張りの壁の向こうに広がる、あざみ区エリアを眺めながら先ほど奥沢が話していた、山女がクマである可能性について星川に尋ねた。
〈あー、クマの可能性ですか〉
「うん。七摘山って昔はクマが出てたって聞いて。オカルト研究会が山でふざけたことをして『連れて行かれた』のも、もしかしたらクマなんじゃないかなって、思ったんだけど」
 横峯市内でクマの目撃情報はほとんど聞いたことがない。だが、害獣の存在は下手なオカルトより現実的で、実在する危険の一つだ。
〈……オレも、それは最初考えましたが、ありえません〉
「なんでそうハッキリ断言できるんだよ」
 せっかくの現実的な可能性を綺麗に否定され、成瀬は少しムッとした声で返す。
〈山で兄たちの前に現れた『山女』は、赤い服を着ていたそうなんです〉
「赤……?」
〈はい。兄たちが山に行ったのは昼間なんです。昼の明るい時間帯でも『山女』は現れました。夜でもない限り、赤を黒と見間違えたりはしないでしょう?〉
 話のイメージから、勝手にオカルト研究会のメンバーが山に行ったのは夜だと思い込んでいた。確かに昼間であれば、緑色だらけの森の中で、鮮やかな赤色はさぞかし目立ったことだろう。
「……なるほどね」
〈それに七摘山でクマが最後に目撃されたのも、もう三十年くらい前が最後だそうなので、現在はいるかどうかも分かりませんし〉
「そっかぁ。貴重な情報をありがとう」
 電話を終えると、成瀬ははぁ、とため息をこぼした。
 顔を上げると、オフィスビルの27階から望む、あざみ区エリアの街並みが、よく晴れた午後の穏やかな姿をみせている。建物内にいるため分からないが、外は今日も酷暑と呼ばれるほどの気温らしい。奥の方には真っ白な入道雲を背負った青山が二つ、悠然と並んでいる。
 正しく現実にいるはずなのに、なんだか自分だけ、妙に遠くにいるような感覚。
 成瀬はその風景に背を向けると、編集部のほうへ戻っていった。
「おかえり。難しい顔して、どうしたの?」
 自席に戻ると、辻堂がいつもの調子で話しかけてくる。
 それに少しホッとしつつ、成瀬は頭の中の情報が絡まっていることを白状した。
「なんか、分からなくなってきて……」
「え、なにが?」
「その……山女が二人いるっぽいんですよ」
 成瀬の言葉に、辻堂が大きく二回まばたきをする。
「え、何人もいるの?」
「黒い服の山女と、赤い服の山女がいるみたいなんです」
 成瀬は編集部の隅に置いてあるホワイトボードを自席の近くまで引っ張ってくると、その画面を整理し始める。
「伝承の『山女』は黒い服を着ているので、黒い女の幽霊を『山女』だと思っていたんです。ですが星川くんに確認したところ、お兄さんたちを連れて行ったのは、赤い服を着ていたそうなんです」
 ホワイトボードには、記事に採用することになった投稿をプリントしたものを貼ってあったのだが、まずそれを『山女』と思われる女性のお化けや幽霊のものだけを中央に集め、それ以外の投稿を隅に寄せた。
 すると実に七割の話が女の幽霊の話だったのである。
「こうしてみると、見事なまでに女の幽霊の話ばかりねぇ」
「はい。そしてそのどれもが、七摘町周辺で起きています」
 投稿したプリントを貼っている横に広げてある、あざみ区エリアの白地図。話の舞台となった場所を赤い磁石で示しているが、そのほとんどが七摘町に集まっている。
「それで次に、この女の話を『赤』と『黒』で分けて……」
 ホワイトボードに『赤』と『黒』の文字を書き、投稿のプリントを色別に分けて並べ始めた。
 それぞれ自席で仕事をしていた久地と根岸も、興味津々で集まってくる。
「そういえば、成瀬くんがみた女の人は、どっちだったんだっけ?」
「……あー、えっと」
 久地に聞かれて、成瀬は自分の体験記事のことを思い出した。
 ――俺が見たっていう『女の足』は捏造なんだけど……。
 捏造なので、そこまで決めていない。
 確かに見ていないはずなのに、記事を書いた時同様、イメージした時の映像が頭にふっとよぎる。
 青白い痩せた足の甲。その爪にはマニキュアが塗ってあった。だから女だと分かったのだ。狭くて分かりにくかったけれど、スカートの裾もちらりと見えていた。
 そしてその色は――。
「確か……赤、でした」
 成瀬の記事は投稿から書いたものではないので、自席にあったメモ紙に適当に『成瀬の体験談記事』と書いて、他のプリント同様ホワイトボードに磁石で貼り付ける。
 場所はもちろん『赤』と書かれたほうに。
「そういえば、同じ体験したっていう感想を送ってくれた人も、『赤』って書いてありますね」
 根岸が投稿データをチェックして教えてくれる。
 やはりあの事故物件で『度胸試し』をしていた頃にいた幽霊は、『赤い女』のようだ。
「ねぇ、これさ……体験した『時期』で並べ替えると、最近のやつだけ『赤い女』にならない?」
 久地がそういうので、ホワイトボードに貼り付けた投稿文を、投稿者が体験したという時期の順番に並べ替えてみる。

時期不明
【A中学校の西渡り廊下は夕方覗いてはいけない】→黒い女
五十年前
 ケガ人が黒い女に連れて行かれた(レポートに記載の話)→黒い女
三十年前
【なだらかな山でも注意を怠ってはいけない】→黒い女
【心霊スポットで悪いことをしてはいけない】→不明
【とある交差点の信号が青の時はそのまま進んではいけない】→黒い女
二十年前
【事故物件の前で立ち止まってはいけない】→不明
【怖い話を集めてはいけない】→赤い女
数年前
【事故現場で手を合わせてはいけない】→赤い女
【非公開:N町を調べていたY大学オカルト研究会が解散した話】→赤い女

 時期不明の浅黄町中学校の話を除くと、二十年くらい前を境に、女の幽霊の色が『黒』から『赤』になっているようだ。
「え、じゃあここ数年の『山女』は、昔のと別人?」
「『山女』としての特徴は一緒だから、どうでしょう……」
「代替わり、とかあるのかしら?」
 編集部内でそれぞれ考えてみるが、答えは出ない。
 伝承にある『山女』も、ここ最近見られている『赤い女』も、子どもを探している、という共通点があるだけだ。
 ただ『赤い女』は、なぜか一人暮らしの男性が死んだはずのアパートに現れたり、七摘町の交差点を通りかかった人の夢に現れたりしているということ。
「まぁ、少しずつ情報を集めてみましょう」
「『山女』の話は地域伝承の一つだし、地域密着型メディアとしては、取り扱ってしかるべき、だしね!」
「……そうですね」
 二人の『山女』は、結局何者なのだろうか。
 成瀬はオカルト研究会の残したレポートをじっと見つめた。