
第四話 兆し
「ええっ! うそでしょ!?」
あざみ区エリア編集部内で、久地の悲鳴に近い叫び声が上がった。
「どうしたんですか?」
今日はあざみ区エリアが特集企画記事を掲載する日なので、担当である久地の原稿ができあがるのを待っていた成瀬が尋ねる。
基本的に最終の原稿チェックは、取材で組んでいるペアとは別の人間がするというルールなので、辻堂とペアを組んでいる成瀬が対応する予定だったのだ。
「あああああ、やっぱりデータが飛んでるぅ」
「え!?」
久地が文字通り、頭を抱えてパソコンの前に崩れ落ちた。
「飛んだのって、今日の『戻橋トンネル』の原稿ですか?」
「そう〜〜〜〜」
半べそで鼻を啜る久地をそのままに、成瀬は久地のノートパソコンを自分の方へ向けてチェックする。
取材データがきちんとフォルダー分けしてあり『戻橋トンネル』と名前のついたフォルダー自体はあった。しかしその中にあるデータは、一つのテキストファイルとファイル名の文字化けした画像ファイル数枚、デジカメの名称がついたフォルダーがあるのみ。
デジカメフォルダーの中なら取材時に撮影した写真が入っているかと思えば、空っぽ。ファイル名の文字化けした画像データはエラーで開くこともできず、テキストファイルは開けたが、一文字も書かれていなかった。
では他のフォルダーはどうかと、試しに『戻橋トンネル』以外のデータを確認してみたところ、特に問題がないように思える。
「……データが飛んだにしては、変な飛び方ですね」
パソコンに与えた衝撃などでファイルが消えることは稀にあるが、特定のフォルダーの中身だけ文字化けして壊れる、というのも奇妙な話だ。
「クラウドのほうは?」
こういう時のためのバックアップとして、取材データはネットワーク上の保存領域――クラウドに自動で保存されるようにしている。そちらはどうだろうか、と成瀬が根岸に尋ねたのだが、首を横に振られた。
「ダメですね。クラウドのほうもファイルが化けていて開けません」
「壊れた後のファイルを自動で同期したのかもしれないですね」
いざという時の自動バックアップ機能が仇となったらしい。
運が悪い時はつくづくツイていないものだ。
「原稿の内容、覚えてますか?」
すっかり落ち込んでいる久地に、成瀬が躊躇いがちに尋ねると、難しい顔が返ってくる。
「文章はなんとか書けるけど、写真がないと意味がないし……」
戻橋トンネルの話は、夕方になると黒い女の影がトンネルの入り口に現れるというもので、トンネルで頻発する事故と絡めた内容だった。
しかも久地と根岸が取材に行った時、実際にその女の影らしきものが偶然撮影できたので、それを掲載する予定になっていたのだが。
「戻橋トンネルの写真なら、今から行けば間に合いませんか?」
「難しいですね。今回の記事は撮影できた影の写真ありきで構成していましたし、イメージ写真としてもう一度撮ろうにも、今日の天気だとちょっと……」
「そっかぁ」
成瀬は激しく降りしきる、窓の外の雨を眺めながら息を吐いた。
噂になった女の影は、晴天時の夕焼けと木々の影が絶妙な角度で重なり合った結果生み出されている、という一応の理屈はあるものの、どうしてそこまで恐れられているのか、といった内容の記事になっていたはず。
トンネルにまつわる歴史と、出てくると言われている幽霊の由来、そしてスクープに近い心霊写真そのものを提示できないとなると、記事に説得力はない。
「せっかくいい写真で、いい記事ができたのにぃ!」
覚えている情報だけで改めて書いてもらおうにも、前日に力作だと豪語していた久地が、ショックでもう一度書けるようなモチベーションではなくなっているのも大きかった。
「こればっかりは仕方ないね。誰か、今日中にあげられそうな記事を持ってる人はいる?」
奥沢が編集部の面々に尋ねるが、みんな顔を見合わせるばかり。
特集記事は区ごとに週に一度更新する予定なので、普段は通常の横峯市関連のニュースや話題の掲載をしつつ、それぞれ持ち回りで特集記事を書いている。
なので、すぐに掲載できるか記事があるかと言われると、正直難しいが――。
「……あの、部長。投稿されたものではないんですが、俺の体験談を掲載してもいいでしょうか?」
おずおずと成瀬が手を挙げていうと、奥沢が目を丸くして見つめた。
「成瀬くんの? あざみ区内での体験談なら大丈夫だと思うけど」
「ちゃんと区内の話です。というか、現在進行形の話なので……」
◇ ◇
【怖い話を集めてはいけない】
ライター:ほたる
実は『K新聞の禁忌欄』が始まってからというもの、あざみ区内にある私の自宅では奇妙なことが起きています。
私は区内にあるアパートで、一人暮らしをしています。その玄関ドアについている新聞受けが、時々勝手に開いているのです。
家賃の安いアパートなせいか、新聞受けにカバーがついていないタイプで、そこが開くと外からの光が入ってくるので分かるのです。
気付くたびに手で押して閉じているのですが、気付くとまた開いていて、の繰り返し。
これはそれを見て思い出した、私の幼い頃の体験談です。
私は小学生の頃、あざみ区内のとある町に住んでいました。
その町の外れには、人が死んだという噂のある事故物件アパートがあったんです。
当時は、誰がどんなふうに亡くなったのか詳細を聞いていませんでしたが、1階に住んでいた一人暮らしの老人が亡くなっているというのは確かだったようです。
そんな、非日常とも言える場所の存在は、小学生にとっては冒険心をくすぐられる格好の的。
私たちの小学校では、その老人が亡くなった部屋をこっそり覗き込むというのが、いわゆる『度胸試し』として流行ったのです。
もちろん、誰も住んでいないし、何も残っていないただの空き部屋で、不動産が管理しているので鍵もかかっていました。
ただ、そのアパートの玄関ドアについていた新聞受けは、内側にカバーが付いていなかったので、細長い小さなフタを押し開けると室内が覗けたんです。
それに気付いた誰かが、そっと覗いて誰かいないかを確認し、終わったら逃げるというのを始めて、いつの間にか広まったようでした。
私はそんなに興味はなかったのですが、付き合いで何度か挑戦したことがあるんです。
安っぽい色合いの玄関ドアに、薄汚れたアルミの新聞受けのフタを親指で押し開けて、中を覗く。
日の高い時間帯であれば、カーテンのかかってない窓から差し込む光で、コンクリートの玄関と、一段上がった木製の廊下が分かる程度です。
「なんにもないねー」
放課後、代わりばんこに覗いては、当たり前の感想を口にして、誰かが「逃げろ!」と叫んだら、弾けるようにしてアパートから離れる。それが楽しくて毎日のようにやっていました。
ただ、その日だけは違いました。
いつものように代わりばんこに覗いては「なんにもないねー」を繰り返す同級生たち。
私の番になって中を覗くと、何もないはずの廊下に人が立っていたんです。
女性のものと思われる、痩せた足の甲が八の字のように並んでいて、脛の途中までしか見えないのですが、しわしわのスカートの裾が見えました。
薄明かりの中なので、スカートの色はよく分かりませんでしたが、並んだ足は生白く光っているように見えます。
とても驚きましたが、私が今ここで「誰かいる!」と叫んだら、大パニックになるような気がしたので、嘘をついたんです。
「……なんにもないねー」
しばらくして、この『度胸試し』は近所の人たちからの連絡で小学校の先生たちにも知られることになり、全校朝礼などで禁止を言い渡されました。そのせいか、以降は近づく小学生はほとんど居なくなりました。
それからしばらくして中学に上がる前、父の仕事の都合でその町を離れたので、その後その事故物件アパートがどうなったのかは分かりません。
自宅で過ごしていると、時々、キィ……と新聞受けのフタを持ち上げる音がして、そちらを見ると外の明かりが差し込んでいる、というこの不可解な現象。
風で開いているのか、古いせいで壊れているのか、原因はよく分かりません。
けれどそのうち、何かがこちらを覗いてくるようになるんじゃないかと思うと、少し怖いです。
まるであの頃、自分たちが覗き込んでいた時の、仕返しのように。
怖い話は、やはり集めないほうがいいのかもしれません。
◇ ◇
「もう、ほんとーにありがとう! 助かったよぉ〜〜」
記事の公開を終えると、久地が半泣きの顔で成瀬に抱きついてきた。
普通の男性なら女性に抱きつかれるなんて喜びそうなものだが、当の成瀬は顔を真っ青にして身体を強張らせ、申し訳なさそうな声をもらす。
「す、すみません、久地さん。離れてもらえますか……」
吐き気を堪えるような声色に、久地はハッとした顔で慌てて離れた。
「ああ、そうだった! ごめんごめん」
「い、いえ……」
成瀬は真っ青な顔のまま、両手で口を押さえている。
その様子に、辻堂が成瀬の背中を優しくさすった。
「こら、成瀬くんは女の人に極端に近づかれるのダメなんだから、気を付けて」
「だよねぇ、ごめんねぇ」
久地が両手を合わせて謝っていると、根岸が紙コップにお水を入れて持ってきて差し出す。
「これ、飲んで」
「あ、ありがとうございます」
成瀬は受け取った水を少しずつ口に含んで、込み上げていた吐き気と一緒に飲み込んだ。
「すみません、普通に話す分には平気なんですけど、あんまり近いと、やっぱりちょっと背筋がゾクゾクして吐き気がしちゃって……」
「難儀な体質よねー」
昔から、成瀬はなぜか女性に抱きつかれたり、極端な接触をされるのが苦手である。
学生の頃はそうでもなかったのだが、周囲の女性がお化粧をするようになる高校生くらいから、妙に背中がゾクゾクするようになって、今では吐き気まで催すようになってしまった。
「自分でもよく分かんないんですけど、化粧品の匂いがダメっぽくて」
「あー、なるほどね。苦手な人は苦手よね」
どうして化粧品の匂いがダメなのか、理由についてはさっぱり分からない。もしかしたら、小さい頃になにかあったのかもしれないが、小学生より以前のことはあまり覚えてないので、どうしようもなかった。
編集部に来た当初は、女性ばかりで不安ではあったものの、こちらが苦手だと知るとみんな配慮をしてくれているので、仕事中はあまり気にせず働けている。
「それにしても、大人気ですねぇ、成瀬くんの代打記事」
編集部の中央にある、アクセス数を表示するモニターに視線を向けると、公開したばかりの【怖い話を集めてはいけない】がリアルタイムのトップで踊っていた。
「編集部側の体験記事だしね」
怖い話を集めると何かが起きる、というのは百物語をはじめとしたホラー話では定番のネタだが、編集部側の実体験ともなると、やはり食いつきはいいらしい。
「……やっぱり、お祓いとかいきましょうよぉ」
成瀬の記事を読んだらしい平間が、怯えた顔でそう言った。
「まぁ大丈夫ですよ、たぶん」
――だって、足が見えたって部分は嘘だし。
小学生の頃、事故物件の中を新聞受けから覗く『度胸試し』が流行ったのは本当の話だ。
しかし、事故物件を覗いた時に一度だけ女の足が見えたという部分は、捏造なのである。
記事の内容的に、そういう『お化けを見た』体験があったほうが、この怪現象を引き立てる気がしたので書いたのだ。
――でも、あの時のことを思い出すと、なんか浮かんできちゃうんだよな。
細長い隙間から見えた薄暗い廊下に、八の字で並ぶ痩せた足の甲。見たことはないはずなのに、なぜか脳内に鮮明な映像が浮かぶ。
昔のことだから、もしかしたら本当は見ているのかもしれない。それならそれで、本当なのだから問題はないだろう。それに自宅での現象は現実だ。
「自宅の新聞受けが開く現象は、いまだに起きてるのかい?」
モニターを見つめる成瀬のところへ、奥沢がやってきて尋ねる。
「ああ、はい。理由はよく分からないんですが」
「成瀬くんの住んでるアパート、だいぶ古そうな物件だったもんなぁ」
「まぁたぶん、経年劣化とかでバネが壊れてるとかだと思いますけどね」
成瀬の住んでいる賃貸アパートは、あざみ区内にある木造二階建てで、間取りも1Kという一人暮らしにはうってつけの部屋だ。広さの割に古いせいか家賃がとても安い。
周辺の建物は建て替えが進んでおり、工事の振動や風の流れが変わったなど、きっとそういった物理的な理由だろう。
「でも、久地さんのデータが変に飛んだりもしましたし、お祓いとかお清めとか、それくらいは行ってもいいんじゃないですか?」
「あ。やっぱり、根岸さんも怖かったりします?」
普段から比較的冷静で、幽霊などを怖がりそうもないクールなイメージのある根岸がお祓いの提案をしてきたので、成瀬が軽く冗談めかして言った。すると根岸は眉毛をハの字に下げる。
「いや、怖くはないけど、実害が出るのは迷惑だから……」
「まぁ、そうですね……」
確かに今回は成瀬がネタを持っていたのでなんとかなったが、同じようなことが今後も起きたら、今回のようにリカバーできるかどうか分からない。その対策としてお祓いをしておくというのは有りだろう。
「そうだねぇ。やっておいたほうがみんなも安心して仕事できるだろうし」
奥沢が前向きな言葉を口にすると、平間と久地が揃ってうんうん、と大きく頷いた。そして久地が何かを思いついた顔で手を挙げる。
「あ、そうですよ! ついでに次の記事では『企画番外編』ってことで、みんなでお祓いに行きました〜って内容にしちゃえば、元とれません?」
「あぁ、それはいいねぇ。じゃあお祓いしてもらおうか」
「じゃあ取材撮影OKな神社さん探しますね」
「他の区の人にも連絡しておきます」
奥沢がOKを出した途端に、辻堂や根岸が早速お祓いに向けての作業に取り掛かり始めた。
「……すごいやる気だ」
成瀬が唖然としていると、奥沢が肩を叩く。
「んふふ。きっとみんな、成瀬くんが心配なんだよ。もちろん僕もね」
「……ありがとうございます」
成瀬は少し照れながら言った。最年少ということもあり、編集部のメンバーにはすごく助けられていると感じる。
奥沢が他部署に用があるからと出ていくのを見送ると、成瀬は自席に戻って次に作成する記事内容を決めるため、投稿データのリストを開いた。
企画開始時に比べると、日々届く投稿はずいぶん減っている。しかし、システム部から数時間おきに届く、あざみ区への投稿がゼロになることはない。
ふと最新の投稿データの、一番新しい投稿者の名前を見て、成瀬は眉をひそめた。
投稿者:星川
場所区分:あざみ区
内容:
やっぱり良くないことが起きているようですね
本当に七摘町の話はやばいんです
すぐに企画を中止すべきです!
投稿時間を見る限り、成瀬の記事を読んでから送ったのだろう。
「しつこいやつだな……」
パソコンの画面を見つめたまま口をヘの字に曲げていると、成瀬同様に最新の投稿データリストをチェックしたらしい平間がやってきた。
「成瀬くん、また『星川』って人からきてますけど」
「俺もちょうど見てました」
「……どうします?」
平間がやはり不安そうな顔で言う。
向こうは親切な警告のつもりなのだろうが、こちらからすれば業務を妨害してくるスパムメールと変わらない。
「そうですねぇ……」
成瀬はこれまで届いた『星川』からの投稿データを確認する。
読者から情報を募集するフォームでは、名前やメールアドレス、投稿内容などが送信された際、IPアドレスなどの個人を特定できる情報も一緒に記録するようなシステムになっている。IPアドレスというのはパソコンなどに割り当てられている、インターネット上の住所のようなものだ。
その情報部分を見てみると『星川』からの投稿は、すべて同じIPアドレスになっているので、きっと自宅などから送っているに違いない。それならこのIPアドレスからのメッセージを受付ないようにしてもらえばいいのだ。
「よし、システム部に伝えて、ブロックしてもらいましょう」
「い、いいんですか?」
「はい。平間さんも、毎日不安になるような文章、読みたくないでしょう?」
「でも……」
内容は怖いものの、こちらを案じているので、完全に拒否することには抵抗があるらしい。
「大丈夫ですよ。これからちゃんとした神社にお願いして、お祓いもしてもらいますし」
「そう、ですよね。じゃあお願いします」
平間は少しホッとした顔をして頭を下げると、自席に戻っていく。
それを見届けた成瀬は、システム部宛に『星川』からのメッセージをブロックしてもらうよう、メールを書き始めた。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます