
第五話 忠告
あざみ区エリア編集部のあるK新聞社ビルの近くには、町名を冠した『
オフィス街の一角にひっそりと構えるその神社は、K新聞社の他部署も何かとお世話になっているようで、お祓いも取材も撮影も、全て快く引き受けてくれた。報道メディアはいろんな人間の思惑を載せているので、そういうものから切り離せないのかもしれない。
七月に入り、梅雨も明けた、天気の良い某日。衛宮神社の境内でお清めとお祓いの祝詞をあげてもらい、その時の様子を久地が『特集企画番外編』と題して記事にしたので、成瀬はチェックのために読んでいた。
記事は久地自身に起きた原稿及び取材データ真っ白事件から始まり、急遽成瀬が体験している現在進行形の怪談を公開して、ことなきを得たこと、その後みんなでお祓いをうけたことまでを、どこか久地らしいコミカルさを交えて書かれている。
青空の下、赤い鳥居の向こうにK新聞社ビルを撮影した、爽やかな写真も相まって、ただただ『怖い話』ばかりの特集の中で、これはちょっとした息抜きのような記事になりそうだ。
祝詞をあげてもらった時の写真が目に留まり、成瀬はお祓いが一通り終わった後、神主さんと話したことを思い出す。
「あなたがライターの『ほたる』さんですか?」
紫に地紋の入った、昔の平安貴族のような和装――狩衣を着た神主が、後片付けをしている成瀬に話しかけてきた。
「あ、はい。そうです」
「体験談の記事を読みました。ご自宅で奇妙な現象が起きてらっしゃると」
「ええ。実はそうなんです。それで今回こちらにお願いすることになりまして」
成瀬が頭を掻きながら答えると、六十代くらいと思われる神主は、シワの多い顔を強張らせて、そっと耳打ちするように言う。
「……申し訳ありませんが、私には貴方に付き纏っているものを、遠ざけることしかできませんでした。なので今後はそういう悪いものとはなるべく関わらず、距離をとるようにしてください」
「どういう、ことですか?」
なんだかピンとこなくて聞き返すと、神主は神妙な顔つきのまま続けた。
「例えば、貴方の家の新聞受けが開いた時に、嫌だな、と感じるのであれば、そこには『悪いもの』がいることがほとんどです。なので可能な限りそちらを見ないようにするとか、中扉があればそれを閉めて分からないようにするなどしてください」
神主によれば、そういった時の人間の直感は本能に基づくため、基本的に正しいらしい。
人間にも動物らしい危険を察知する能力が残っているようだ。
「そんな簡単なことで、大丈夫なんですか?」
「はい。できれば部屋を出たり、移動したりして、どこに行ったか分からないようにするのが一番いいです。難しい場合は、空間を閉じて今までと違う場所にすること。それだけでも効果はありますから」
「……なるほど」
神道には、お葬式をする際に死という穢れを嫌う神様のために、神棚に和紙を掛ける『神棚封じ』という習慣がある。そうやって紙一枚使って隠すだけで、悪いものから遠ざけたことになるのなら、確かに中扉を閉めるのは効果がありそうだ。
「それでも、どうしても向こうから近づいてくるような時があったら『
「『蒼蓮寺』ですか?」
神主が言う『蒼蓮寺』は衛宮町の外れにある、厄除けで有名なお寺である。まさか神社の神主から寺を勧められるとは思わなかった。
「はい。私の力ではお清めはおろか、これ以上遠ざけることはできません。ですが、蒼蓮寺の和尚でしたらなんとかできるかもしれませんので」
「……わ、わかりました」
あの時は神主のあまりの気迫に頷いたが、神社が寺を紹介するというのは意外であった。
気になったので『蒼蓮寺』のホームページをチェックしてみたが、参拝客も多く賑わっているからか、装飾も豪華で、比較的羽振りのいい、よくあるお寺にしか見えない。
今の所この目で見たわけではないが、実在する悪霊というやつは、漫画やアニメのように神社やお寺の神秘パワーで簡単に消し飛ばしたりはできないようだ。
「久地さん、チェック終わりました」
「ありがとー!」
プリントした原稿を久地に返した成瀬は、トイレに行こうと編集部を後にする。
廊下に出ると他の編集部の人たちとすれ違い、簡単に挨拶をしては、綺麗に清掃された廊下を歩いてトイレに向かう。
用を足して手を洗いながら、鏡に映る自分を見つめた。
二十代後半の差し掛かる割に童顔気味の顔、背は高くなくて華奢な体つき。顔にクマはないし、太り過ぎても痩せ過ぎてもいない。
怖い話を集めているので、いわゆる『負』の何かは集まっているのだろうが、身体に何かしらの不調は見当たらないので、衛宮神社の神主が気にしているような何かに取り憑かれていた、という実感はない。
せいぜい新聞受けが壊れているのが気になっているくらいで、怖いとも危険とも感じず、そんなに困ってはいないのだ。
「……別に普通だけどなぁ」
忙しい日常も、会社の雰囲気も、いつも通りで変わらない。
記事に書いた「女の足をみたことがある」という部分から、取り憑かれていると思われたのだろうか。
でもあれは、捏造だ。本当のことじゃない。
トイレから編集部の自席に戻ると、成瀬は投稿データのリストをチェックし始めた。
システム部に『星川』からの投稿をブロックするよう依頼してからは、妙に不安を煽る警告メールは来ていない。
お祓いをして『星川』からの投稿も来なくなり、平間さんが過剰に怖がるようなことは無くなったので、編集部内の雰囲気も穏やかだ。
けれど、あの投稿内容だけは、妙に気に掛かる。
〈やっぱり良くないことが起きているようですね〉
まるで、何かが起きることを知っていたようだった。
どうしてそうなると知っていたのだろうか?
――まぁ、もうブロックしちゃったしな。
成瀬はまぁいいか、と投稿データのリストを閉じると、書きかけの原稿の続きを書き始めた。
◇ ◇
【とある交差点の信号が青の時はそのまま進んではいけない】
ライター:鴨ネギ
「あれは多分、呼ばれてるってことなんだと思うんです」
心霊スポットとして有名な、廃ホテルのあるD山。
その山道には三箇所だけ、信号機を設置した交差点がある。
もしその信号が、通りかかったときにタイミングよく『青』だった場合、そのまま通ってはいけないと言われているのをご存知だろうか。
もし『青』だった時は、できればUターンをしたり、路肩に停めて一時停止し、信号が一度『赤』になってまた『青』に変わるのを待つなど、時間を置いてから通らないと『よくないこと』が起きると言われている。
これはその『よくないこと』を体験してしまった方の話だ。
今から三十年以上も前のことです。
私は実家が隣の市にあるので、市境近くにあるD山は数ヶ月に一度の頻度で通っていました。
だからその『信号が青の時は進んではいけない』って噂も知っていましたし、それなりに気を付けていたんです。
だってどんな『よくないこと』が起きるか分からないんですよ? 怖いじゃないですか。
でも、たまたまその日は実家のほうでちょっとした問題が起こり、それをなんとか解決した後だったのもあって、酷く疲れていたんです。できれば実家に一泊していきたかったのですが、それも難しくて。仕方なくその日のうちに帰ろうと、疲れた状態で長時間の運転をしていました。
だから、完全に油断していたんだと思います。
さっさと帰って寝てしまいたい気持ちが強くて、普段ならあまりいない先行車を、何も考えずにただボーッと追いかけるように走らせていました。スピードも同じくらいで、車間距離もちゃんと十分にとっています。
D山の山頂付近に入って、しばらくした頃でした。
先行車が突然ウインカーを出してスピードを落とし、路肩のほうに停まったのです。
私はぼんやりと「ああ、急な電話でもあったのかな?」と何も考えずに思い、そのまま追い越してから、あっと気付きました。
この辺りには信号機の設置された交差点があるんです。
それに気付いたのは、ちょうど見えてきた交差点の信号が『青』だった時でした。
しまった、と思った時にはすでに遅く、一時停止で避けられそうな路肩もありません。今ブレーキを踏んだらちょうど交差点の真ん中で止まってしまいます。
仕方なく、私はそのまま交差点を直進しました。
しばらくは冷や汗をかきながら、事故を起こさないようスピードも少し落とし、緊張したままハンドルを握っていました。
しかし、特になにも起きなかったんです。
「……なんだ、大丈夫じゃん」
普段から車通りも少ない山道。
安全運転を心がけていたせいか、いつもより長く感じる下り坂の途中でコンビニが見えてきました。
せっかくだから休憩していこう、とコンビニの駐車場に入って車を駐めました。
エンジンを止めて、ようやく大きく息を吐いたのを覚えています。
思っていたような『いやなこと』は特に起きず、ホッとしたんだと思います。
噂は所詮、噂でしかなかったのだ、と。
コンビニで缶コーヒーを買い、あとは家に帰るだけだな、と運転席に座った瞬間、違和感を覚えました。
視界の端に捉えたバックミラーに、人影が写っていたんです。
後部座席に座る、黒いワンピースを着た女でした。
一人で車を運転してきたのですから、誰も乗ってるはずがありません。買い物に出るわずかな時間でも車には鍵をかけるので、誰かが乗り込めるはずもない。
私は振り向くこともできず、目だけを動かしてバックミラーを見つめていました。
黒くて長い髪を顔の前に垂らしていて、分かれた髪の隙間から青白い鼻と、カサカサに乾いた紫の唇が見えます。
よくよく見ると、口が動いているようでした。
もしかして何か言っているのか?
そう思った次の瞬間、すぐ耳元で――。
「もういいの?」
囁くような女の声でした。
その後の記憶はありません。
気付いたら病院のベッドの上でした。
どうやら私はコンビニで買い物した後、駐車場から出ようとして運転操作を誤り、駐車場の出入り口付近の壁に、真正面から勢いよく突っ込んだんだそうです。
車は前方部分が大きく大破していたらしく、よくケガだけで済んでよかったね、と言われています。
投稿者の話を元に、現場となったコンビニ周辺の事故について調べたところ、運転操作を誤ったと思われる単独事故が多発していた。
やっぱりあの噂は本当らしい。
D山を越える時は、特に信号の色に注意した方がよさそうだ。
◇ ◇
今日は成瀬と辻堂の二人だけで社用車に乗り込み、取材先へと移動していた。
成瀬は運転免許を持っていないので、今日の運転手は辻堂である。
「そういえば、成瀬くんのあの記事さー」
「どの記事ですか?」
ハンドルを握る辻堂の隣の助手席で、ノートパソコンを開いて作業をする成瀬は、画面を見たまま返事をした。
「久地さんの代打で出した、禁忌欄の記事。あれで出てきてた『度胸試し』の事故物件って、どこのやつなの?」
現在進行形で新聞受けが開く現象が起きているのは会社近くにある自宅だが、かつて住んでいた町については、イニシャルすら出さずに伏せてある。
特に誰にも聞かれなかったので、成瀬もあえて言わなかったのだが、あの場所は――。
「……七摘町です」
「え、そうなの!? じゃあもしかして、そのアパートっていうのも」
「【事故物件の前で立ち止まってはいけない】と、同じ建物です」
「あ、だからどこの町の話か書かなかったんだ」
「はい。なるべく同じ場所って思われないようにしたくて」
ただでさえ『七摘町』の話ばかりになっている、という指摘があった後なのだ。だが、急いでいたとはいえ、正直に『事故物件アパート』と書いてしまったのは少し後悔している。過去の記事で出てくる場所と同じ印象を持たれないよう、亡くなった人物は『一人暮らしの男』から『一人暮らしの老人』とし、ゴミ屋敷だったことは一切書かなかった。
とはいえ、禁忌欄企画のストーカーである『星川』にはバレてしまっているので、少しばかり失敗したなと反省している。
「てことは、成瀬くんて七摘町出身だったってこと?」
「まぁ一応そうなるんですが、小学校卒業する前には引っ越しちゃったんで、あんまりそんな実感ないんですよね。小学校以前の記憶もあんまりないですし」
「なるほどねぇ。お父様の仕事の都合で引っ越したんだよね? どこに引っ越したの?」
七摘町に向かう道路の工事渋滞に捕まってしまい、暇なのか妙に辻堂が尋ねてきた。普段は仕事の話をすることが多いのだが、記事で書いてしまったこともあり、興味が湧いたらしい。
「七摘町の次は、衛宮町の隣の本郷町ですね。小学校にあがる前に母が病気で亡くなってるんですけど、以降は父と祖父母に育てられてて……」
「あれ、そうだったの? ……なんかごめん」
少ししゅんとする辻堂に、成瀬は苦笑する。母が亡くなった話をすると、大抵の人は申し訳ない気持ちになるらしい。
けれど、成瀬はその反応に少し困るほうだった。
「ああいえ、母の記憶もあんまりないし、恋しいと思ったことないんで。だから、気にしないでください」
「……そう?」
「実は七摘町に実家があるんですが、本郷町に引っ越す時は祖父母も一緒だったんです。高校卒業して大学入る時に衛宮町で一人暮らしを始めたんですけど、祖父母もそのタイミングで七摘町に戻りました。祖父母は俺が寂しくないよう、自立できるまで一緒にいてくれたのかもしれないですね」
母はいなかったけれど、祖母が毎日美味しいご飯を作ってくれて、放課後は祖父と一緒に畑仕事をしていた。夜は父に勉強を見てもらって、家族四人で楽しく暮らしていた思い出しかない。
「……でも、母親のことを覚えてないなんて、我ながら薄情だな、とは思うんですけどね」
自嘲気味に成瀬は呟く。子は親を無条件に求めるものだ、と色んな人に言われてきて、そうでない自分は親不孝なのだろうな、とどうしても思ってしまうのだ。
「そんなことないわよ。血が繋がってても仲良くなれない親子だっているしさ。まぁ子を持つ親としては、正直寂しいって思っちゃうけど。……でも、子どもが楽しく暮らせてたら、それでいいかなぁって私は思うしね」
「……そう思ってくれてたら、いいな」
記憶にも残っていない母は、どんなふうに思ってくれているだろうか。
「それにしても、一緒に来てくれるなんて、いいご家族だったのねぇ。ああでも、もう亡くなられてたよね?」
「はい。K新聞に社員採用される前に、立て続けに亡くなっちゃって。祖父母の家は、親戚の方が管理してくれてます」
頼れる家族はもういない。
もし幽霊が存在するのなら、父や祖父母に会ってみたいけど、見たことはない。
きっとそういうものなのだ。
「改めて言うことじゃないけど、なんか困ったら力になるからね!」
「……ありがとうございます」
見えないものを怖がるより、近くで支えてくれる人たちの力になることを考えた方が、よっぽど有意義である。
「まーでも、一番頼りになるのは奥沢部長のほうかな」
「そうですね。父の友人ですし、今のアパート借りる時も保証人になってくれましたし」
部長の奥沢は上司でもあるが、成瀬が学生の頃からの知り合いということもあって、身近な血縁者がいなくなった今では、すっかり保護者代わりだ。
「えっそうだったんだ! いい人すぎない?」
「本当ですよねぇ、めちゃくちゃありがたいです」
そんな話をしているうちに、いつの間にか七摘町に入っていて、カーナビが目的地に近づいていることを告げる。
「そろそろ待ち合わせ場所の近くね」
「あ、今日会う方は、もうファミレスに入ってるそうです」
取材相手から届いたメールを開くと、早く着いたので先に店に入っているという連絡だった。
成瀬は素早く謝罪と、もうすぐ着くことを返信してパソコンを閉じる。
「よし、しっかりやろうね」
「はいっ」
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