
第六話 子ども
「な、成瀬く〜〜ん」
編集部にある自席で、成瀬が休憩のコーヒーを飲んでいると、平間が青い顔をして手招きをしている。
「どうしました?」
何かパソコンのトラブルだろうか。コーヒーの入ったマグカップを持ったまま、成瀬は平間の元へ向かう。
「こ、これ! この投稿、見てください……」
平間のパソコン画面に映っていたのは、システム部から毎日定期的に送られてくる、特集企画向けの投稿をあざみ区だけに絞った投稿データリスト。
指を差されていたのは、その最新の投稿内容である。
投稿者:ななし
場所区分:あざみ区
内容:
ほたるさんが体験した、事故物件を覗いたという記事ですけど
あれ、七摘町にある事故物件アパートですよね?
私も同じような『度胸試し』をやった思い出があります。
でもその時は『お化け屋敷チャレンジ』って言ってたような。
その時一回だけ、私も女の人の足を見ました。
やっぱり幻覚じゃなかったんですね。
「これは……」
驚きすぎて何も言えずにいると、平間が怯えたような顔で聞いてくる。
「成瀬くんの記事に出てきたアパートって、七摘町のアパートだったんですか? 記事に書いてなかったですよね?」
「あーうん。実は、そうなんだ……」
「わーやっぱりぃ!」
両腕をさすって震える平間をそのままに、成瀬は自席に戻って改めて投稿データリストにあった、件の投稿を見つめた。
場所は七摘町で合っている。
そして、記事中では『度胸試し』としていた呼び方も、本来は『お化け屋敷チャレンジ』だったので、投稿者は同じ時期に小学生だった人間のようだ。
しかし、問題はそこではない。
――女の足が見えたのは、捏造なのに……。
何度チャレンジしても、見えたのは何もない廊下だけだった、はず。
もしかして、本当は見ていたのを、嘘と思い込んでいただけなのだろうか?
何度も当時のことを思い出してみるけれど、浮かんでくるのは細長い隙間越しに見た女の足。しかも思い出すたびに、なぜか鮮明になってきていて、なんだか気味が悪い。
先日七摘町での取材の際、ついでに未だに残っている例のアパートを見に行ったせいだろうか。
当時の印象よりも当たり前に古くなっており、昼間なのに随分と薄暗い雰囲気を纏っていた。
場所も建物も合っている。ただ、記憶だけが違う。
小学生の時の友人たちに連絡でも取れれば、自分の記憶が嘘か本当か分かるような気もするが、残念ながら当時の友人たちの名前も朧げなうえ、あだ名しか出てこない。しかも、卒業したのは引っ越した後の小学校なので、卒業アルバムのような手がかりもない状態だ。
――これじゃあ探しようもないし……。
考え込んでいた成瀬の元に、根岸が原稿を持ってやってきた。
「成瀬くん、原稿チェック終わったよ」
「あ、ありがとうございます」
ハッとして受け取ったが、根岸は小さく眉をひそめる。
「……顔色悪いけど、大丈夫? 何かあったの?」
気にされるほど、動揺が顔に出ているらしい。
「ああ、いえ。ちょっと、自分と同じ体験をしたって人の投稿がきてて。あれはやっぱり夢じゃなかったんだなぁ、と思ったら今更怖くなってきて……」
本当は違う理由だけれど、今はそう返すしかない。
だって捏造のはずが、本当だったのかもしれないのだから。
普段ならそこまで踏み込んでこないタイプの根岸が、妙に真剣な顔でこちらを見ていた。怪現象に悩まされていることは、先日の記事で編集部メンバー全員に知られているし、やはり心配してくれているのだろう。
「以前お祓いしてもらった衛宮神社、割と近くだし、一人でもいいから、また行ってきたほうがいいと思うよ」
「そう、ですね……」
仕事帰りに寄るとなると、時間帯的にお祓いをしてもらうのは厳しいだろう。それならせめて、手を合わせるくらいはしておいたほうがいいかもしれない。
――今日は、早く帰ろう。
成瀬はチェックしてもらった原稿に目を通し、掲載の準備を進めた。
◇ ◇
【存在しない生徒の名前を呼んではいけない】
ライター:ほたる
「体験したのは私じゃなくて祖母なんですが、祖母の通っていた中学校では一時期、先生にだけ奇妙なことが起きていたそうです」
「先生にだけ、ですか?」
「はい。先生が『存在しないはずの生徒の名前』を呼ぶんだそうです」
それはある学年の、ある教室だけで起きる、奇妙な現象でした。
例えば、授業で生徒を当てる時です。
名簿順や席順で呼んでいたはずが、突然「えー、じゃあ次は〇〇」という感じで、当たり前にその〇〇さんという生徒がいるかのように言ってしまうのです。
でもそのクラスに、〇〇という生徒はいません。
先生もそれは知っているので「あ、違う違う。次は△△」って言い直したり、生徒に「〇〇という生徒はいません」と指摘されて「あーそうだった、すまんすまん」と謝るのだとか。
よくある苗字ですが、たまたまその年の、その学年には〇〇という苗字の子がいなかったので、すぐに変だと気付くことができたようです。
いったい、どういうことなのか?
この現象は先生たちにだけ起きるので、先生たちもそろって頭を傾げていたそうです。
先生たちは「わかっているはずなのに、なぜか当たり前にいるような気がしてしまう」のだとか。
そんなある日の学級会で、事件が起きました。
学級委員の生徒が黒板前の教卓に立ち、何かについてみんなに意見を求めていたんです。
難しい議題だったのか、なかなか手が上がらず、学級委員がランダムに指名していくことになりました。
そして何人かを指名した後、学級委員は当たり前の口調でこう言ったのです。
「じゃあ、〇〇さんはどう思いますか」
先生たちの時と同じように、学級委員はなぜか〇〇という生徒がいる気持ちになっていたそうです。
そしていつものように誰かが「そんな子いないよ」と指摘するはずでした。
しかし、その日は違いました。
「はいっ」
誰ものとも分からない、元気のいい返事と、ガタッと椅子から立ち上がる音がしたんです。
一瞬の沈黙の後、教室内はすぐに蜂の巣を突いたような大騒ぎになりました。両隣のクラスの先生たちにも手伝ってもらい、なんとかパニックを落ち着かせたそうです。
名前を呼んでしまった学級委員の生徒は、黒板の前で泡を吹いて倒れていました。
意識を取り戻したその生徒に話を聞いてみると、やはり先生たち同様『〇〇という生徒がいる』と思い込んでいたそうです。
さすがに、何かがおかしい。
なぜこんなことが起きたのか、先生たちは学校の歴史などを徹底的に調べたそうです。
すると『〇〇』という苗字の生徒が、過去にとある教室で自殺していたらしく、自殺の際にその教室にあった教卓を使っていたのだとか。
「もしかして、その教卓をまた使ってしまったから、なんでしょうか?」
「どうやら、そうみたいです」
不可思議な現象が起こり始める前、それまで使っていた教卓を生徒たちがふざけて壊してしまい、新しいものを買うまでの繋ぎとして、倉庫の奥にしまっていたその教卓を出してきて、そのまま使っていたんだそうです。
きっと長く勤めてる先生がもういなくて、その教卓の由来を誰も知らなかったのでしょう。
自殺した生徒は早くに父親を亡くし、唯一の母も遠縁の親戚にその子を預けて、そのままいなくなったようでした。そんな事情から「母親に捨てられた子ども」だと言われ、親戚や一部のクラスメイトにいじめられていたようです。
学校で自殺した理由も「家に帰りたくない。ここなら仲の良い友達もいるから、ずっとここにいたい」という悲しいものだったとか。
先生たちを悩ませていた不可思議な現象は、教室の教卓を新しいものに変えたところ、ピタリと止んだそうです。
「ずっとその学校の生徒でいたかったんですかね」
「そうかもしれません」
「でも、なんで処分せずにしまっていたんでしょう?」
「縁起の悪いものではありますが、亡くなった理由が理由だったので、勝手に処分してしまうと何か起こると考えていたのかもしれませんね」
「今、その学校はどうなっているんでしょうか?」
「実は町村合併の際の統廃合で、学校自体は無くなっているんです。だからその教卓も、その後どうなったのか分からないんです」
学校に居続けたかったその生徒は、今もどこかの学校に存在しているのでしょうか。
教卓や学校が無くなるとともに、安らかに成仏してくれているといいですね。
◇ ◇
「いやー、今回のアクセス数もなかなかな数字ねぇ」
「ありがたいことです」
「ちょうど七月にも入ったし、季節的にもホラーはぴったりだもんね」
編集部の中央にある、アクセス数を表示するモニターを、成瀬と辻堂、そして久地の三人で眺めていた。
リアルタイムで表示される記事別の閲覧数トップは、企画の最新記事【存在しない生徒の名前を呼んではいけない】である。
「ここだけの話なんですが、今回の話の中学校、以前久地さんが書いた【掲載しないといけない人物写真】の話と、同じ学校なんですよ」
「えっ、うそ!」
モニターを見つめたまま言う成瀬に、久地が驚愕の表情を向けた。
久地の書いた【掲載しないといけない人物写真】は、卒業アルバムによく分からない生徒の写真を紛れ込ませないと良くないことが起きる、という奇妙な習わしのある中学校の話である。
「はい。久地さんは記事で使わなかったけど、問題のアルバムを取材時に撮影してたじゃないですか」
「うん、撮った。個人情報だしネットにあげられないから、資料としてだけど……」
編集部が取材したデータは、同じ部内の人間が自由に閲覧できる、クラウドサーバーにバックアップも兼ねて保存されている。成瀬は記事を書いている際、念の為にと久地の取材データもチェックしておいたらしい。
「そこに映ってた中学校の名前と、投稿者さんから聞いた中学校名が同じだったんです。七摘町の学校の話なので、同じ学校で確定でしょう」
「えー、そうだったんだー」
「奥沢部長に、なるべく同じような町だとバレないように、って言われてますからね。共通点とか出ないよう気を付けてるんですよ」
話の面白さを基準に選ぶ以上、同じ場所での話だと気付かれないようにしなければ、なぜ同じ場所ばかり紹介するのか、と抗議されかねない。
地域密着型メディアである以上、その辺はみせかけだけでも公平でいなければならないのだ。
「でも取材の時に【掲載しないといけない人物写真】のことも聞いてみたけど、投稿者の方はそんな話は聞いてないそうです。なので、謎の生徒の写真を掲載しないといけなくなったのは、この事件の後なんだと思います」
「じゃあもしかしたら、謎の人物写真の生徒と、この名前を呼んじゃう生徒が、同一人物の可能性もあるってこと?」
「ありそうですよね。もしかしたらこの奇妙な事件がきっかけで、謎の生徒写真をアルバムに入れるようになった、なんてこともあるかもしれません」
教卓を一時的に教室に戻され、幽霊として活動しているうちにどんどん活発になってしまったのではないだろうか。そしてそのうち、それを鎮めるための儀式的な意味合いも兼ねて、卒業アルバムに写真を遺し始めたのかもしれない。
「そっかー。でもその子は、学校にずっといたかったんだし、仕方ないかもねぇ」
「そうよねぇ。それにしても、ひどい親戚よね。まー、そもそもお母さんはどこ行っちゃったのよ、って感じだけどさ」
「……好きで捨てられたわけじゃないでしょうしね。でも、親や大人に振り回される子どもは、たまったもんじゃないですよ」
市町村合併が起こる何十年も前となると、時期はおそらく戦後すぐかその辺り。生活に困窮していたであろう時期なので、きっと色んな理由があったはず。
自殺した生徒に三人で思いを馳せていると、根岸が鞄を持って近づいてきた。
「久地さん、お待たせしました」
「あ、準備終わりました? 行きましょっか」
久地はすぐにデスクに置いていた、色んなものを詰め込んだ自分のバッグを取って肩にかける。
「あ、今日取材でしたっけ」
「うん! ……特集記事の取材で、七摘町に」
「なんというか、幽霊のホットスポットなんですかね」
「そうかも!」
半ばヤケクソのように「いってきまーす!」と、元気よく編集部を出ていく久地と根岸を見送ると、成瀬と辻堂も自席について仕事に戻った。
次の記事に向けて、成瀬は資料倉庫から持ってきた二十年以上前の古い新聞をめくる。編集部があるのは新聞社の本社ビルなので、資料倉庫に眠る大量の過去新聞は、調査資料の宝庫だ。全国紙以外の地方紙版も大量に残っているため、過去の些細な出来事を調べるにはうってつけの場所である。
探しているのは、七摘町のとある交差点で起きた死亡事故について。
事件・事故のデータベースから年月日は絞れているものの、K新聞でどのように報道したのかまでは分からないので、こうして古新聞をめくるしかないのだ。
編集部内にパサ、パサ、と成瀬が新聞をめくる紙擦れの音が響く。
それらしい記事を見つけて、成瀬が手を止めた、その時だった。
プルル……プルル……と、内線を告げる電話が鳴ったので、辻堂が受話器を取る。
「はーい、あざみ区エリア編集部」
《フロント受付です。あざみ区エリア編集部の『ほたる』さんに合わせろと、学生のような方がいらっしゃってるのですが、本日のお約束はございませんでしたよね?》
電話口の向こうから聞こえる柔らかくて丁寧な口調は、このビルの受付に座っている女性のものだ。
K新聞社では、どんな部署でも来客を伴う打ち合わせがある場合、全てきちんと受付に共有されている。不審者を社内に入れるわけにはいかないので、ほんの数分だったとしても、基本的にはすべて約束をとってもらっているのだ。
「『ほたる』さんに、ということは成瀬くん宛だと思うけど、今日はないよね?」
受話器を持ったままの辻堂が、近くで古い新聞紙を広げている成瀬に尋ねる。聞かれた成瀬は当たり前のように頷いた。
「はい。今日は取材もないので一日社内予定ですけど」
「やっぱりアポはないみたいですよ?」
《承知いたしました。ではお引き取りをお願いして……》
辻堂の返答に受付スタッフが頷いているその後ろから、男性の叫ぶような大声が漏れ聞こえる。
気になった成瀬が、辻堂が耳に当てている受話器に自分の耳も近づけた。
《大事なことなんです! オレは! 七摘町の調査をやめるように! 忠告にきたんですよ! そうじゃないと編集部の人が……!》
声は二十代くらいの、若い男性の声。普段から大声を上げないような人が、無理に声を張り上げているような雰囲気だ。
すぐに「やめなさい!」と、駆けつけたらしい初老の警備員が取り押さえるような、騒がしい音に変わっていく。
確かに今『七摘町』という言葉が聞こえた。
成瀬と辻堂は顔を見合わせる。
「ごめんなさい、その人はお名前なんといってます?」
《えっと、あの『星川』さんと名乗っていらっしゃいますが……》
辻堂が受付スタッフに尋ねると、少し怯えたような声で聞き覚えのある名前を告げた。
少し前まで奇妙な警告メールを送り続けてきた人物と同じ名前ではないか。
「……もしかして、あの『星川』かな?」
「可能性は、ありますね……」
『星川』は毎日のように意味ありげな警告メールを送ってくるので、システム部にお願いしてブロックをしてもらった。
もしかしたらメールが送れなくなったことに気付き、直接警告しにきたのかもしれない。
警備員が取り押さえるくらいに暴れているところからして、このまま帰してもまた何度もやって来るような気がする。
成瀬はしばらく考えて、辻堂に告げた。
「とりあえず、彼の話だけでも一応聞いてみましょうか。どこか空いてる会議室に案内してもらって……」
「直接会ったりして、大丈夫かしら?」
不安げな辻堂に、成瀬は肩をすくめて苦笑してみせる。
「あのしつこさを考えると、ここで追い返してもビルを出入りする人に『あざみ区エリア編集部の人ですか?』って聞いて回りそうじゃないですか。それならもう、会っちゃったほうがいい気がします」
「……それもそうね」
深いため息をついた辻堂が、受付スタッフに空いている会議室がないかと確認を始めた。
成瀬はその横で、打ち合わせでノートパソコンを使えるよう、充電ケーブルなどを外して準備を始める。
「だ、大丈夫ですか?」
受付とのやりとりを聞いていたらしい平間が、心配そうに成瀬に尋ねてきた。自分が『星川』のメールに不安がってブロックしてもらったせいではないか、と考えているのが分かるような顔をしている。
そんな平間に成瀬は笑ってみせた。
「ああ、心配しないでください。あの迷惑メール野郎の顔を、拝んでくるだけですから」
受話器を置いた辻堂が、自分のノートパソコンを持ち出す準備を始める。
「エントランスの『小会議室C』が空いてたから、そこに案内してもらったわ」
「了解です」
「……気を付けてくださいね」
「はい、いってきます」
辻堂と成瀬は平間にそう告げると、エントランスのある2階へ向かった。
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