
第十二話 赤い影
編集部内にある会議室に、古い新聞を持った辻堂がノックをして入る。
「成瀬くーん、例の七摘町にある事故物件アパート、いつ事故物件になったのか分かったわよ」
中は電気も付いておらずに真っ暗で、窓側のカーテンもきっちり閉じていた。
会議室の端には、巨大な紺色のイモ虫のような塊が転がっていて、それがモゾモゾと小さく動いて声を発する。
「えー、もうそんな時間ですかぁ」
眠そうな声と共に、イモ虫の背中がジーッと音を立てぱっくりと開き、中から声音の通りの顔をした成瀬が這い出てきた。
「そんな時間よー、起きなさい」
辻堂がそう言って、会議室の明かりをつけ、カーテンを開ける。外はよく晴れていて、暗かった室内がすっかり明るい。
「ほら、顔洗っておいで」
「はぁい」
寝癖のついた頭で返事をしながら、成瀬は会議室を出ていく。
成瀬の自宅に赤い山女が現れた後、しばらくは星川の自宅から会社に通っていた。しかし、一週間ほど前から星川の家にも赤い影がチラつくようになり、奥沢や編集部メンバーに相談した結果、編集部内にある会議室に寝泊まりする許可をもらったのである。
それからはすっかり会議室が成瀬の寝床になっていた。ちなみに成瀬が寝る時に使っている紺色の寝袋は、編集部の備品である。
成瀬はトイレの洗面台で顔を洗い、社内の購買で朝食用のサンドイッチとコーヒーを買って編集部に戻る。
K新聞社は部署によっては泊まりがけになったり、シフト制で夜中に出社している人がいたりするので、成瀬が諸事情により泊まることになっても、そこまで困る環境ではないのが幸いだった。
会議室に戻ると、辻堂が自分のパソコンを持ち込んですでに作業を始めている。
「またサンドイッチだけ? もっとちゃんと食べなさい」
「朝はあんま食欲ないんですよね」
成瀬は買ってきたたまごのサンドイッチを口に咥えると、テーブルの上に置かれた古新聞を手に取った。
「これが例のアパートの記事が載ってる新聞ですか?」
「うん、付箋つけてるとこね」
日付をみると、今から十八年ほど前の新聞である。
「『あざみ区七摘町のアパートで、一人暮らしの男性が死亡しているのが発見された』……」
紙面の下部のこぢんまりとしたスペースに、大きな見出しも写真もなく、大量のゴミを溜め込んでいた部屋の中で亡くなっていたことが、数十行程度にまとめて書かれていた。
「……『発見時は布団の中で眠るように亡くなっており、目立った外傷もないことから、事件性は低いと見ている』ねぇ」
遺体発見の状況は、【事故物件を映した動画を見てはいけない】の時の、動画の内容とかなり酷似している。
十八年前なら、成瀬は七摘町にいたものの、もう小学生になっている頃だ。つまり自分が住んでいたと思われる時期はまだ、あのアパートは事故物件になっていないということになる。
「なんでまたあのアパートのことを調べてるの?」
「『山女』になった巫女の行動をまとめるために、厄囮の家だったあの場所や、七摘町で起きた事件なんかを時系列に整理してまして」
「ああ、なるほどね」
辻堂にはまだ、事故物件アパートのあの部屋に自分がかつて住んでいたことを伏せている。
――これ以上、変に心配させたくないし。
ただでさえ赤い山女に付き纏われるようになって、編集部のメンバーにはものすごい心配と迷惑をかけているのだ。『山女』の目的が分かるまで、このことは伏せておいたほうがいいだろう。
自分の言葉をすんなり受け止めてくれる辻堂に少し申し訳ないと思いつつ、成瀬はホワイトボードにアパートが事故物件になったタイミングを書き込んで、全体を眺めた。
戦前
・七摘町に『厄囮の家』ができた
・『厄囮の家』で巫女が殺され、山女が生まれる
・巫女の子どもが自殺する
【山から帰ってきた行方不明の人を信じてはいけない】→山女の伝承
戦後すぐ
・戦後の混乱で厄囮の家について知るものが減り、整地される
【壊してはいけない家を壊した話】→黒い山女
・跡地に大きな家が建てられ、家主がお手伝いさんを殺害し、一家離散
・跡地は更地になった
戦後20〜30年(1970年代)
・町村合併により周辺の地名変更や学校の統廃合が進む
【殺人事件のあった場所でコックリさんをしてはいけない】→黒い山女
【存在しない生徒の名前を呼んではいけない】→こども
【掲載しないといけない人物写真】→こども
35年前
・『厄囮の家』の跡地に、現在のアパートが建つ
【A中学校の渡り廊下は夕方覗いてはいけない】→黒い山女?
30年前
【とある交差点の信号が青の時はそのまま進んではいけない】→黒い山女?
【なだらかな山でも注意を怠ってはいけない】→黒い山女
20年前
【事故現場で手を合わせてはいけない】→赤い山女
18年前
・アパートで男性が死亡する
【事故物件を映した動画を見てはいけない】→赤い山女
16年前(成瀬小学生)
【怖い話を集めてはいけない】→赤い山女?
【事故物件の前で立ち止まってはいけない】→赤い山女
5年前
・オカルト研究会が解散
【N町を調べていたY大学オカルト研究会が解散した話】→赤い山女
「こうしてみると、やっぱり三十年くらい前のこの辺りがポイントね」
辻堂がそう言って、ホワイトボードに記した『30年前』の箇所を指す。
「この【なだらかな山でも注意を怠ってはいけない】の話、本当はやっぱり投稿者のお友達は、ここで黒い山女に成り代わられてしまったんじゃないでしょうか」
「その可能性はありそうね。記事書いたのは久地さんよね? もう一度投稿者の方に連絡してもらって……」
成瀬と辻堂が会議室で話している最中だった。
「きゃあああ!!」
普段から静かな編集部のメインデスクがあるほうから、女性の叫び声が聞こえてくる。
二人が急いで行ってみると、平間が床にしゃがみ込んで泣き崩れており、それを根岸が懸命に背中をさすって慰めていた。
「どうしたの?」
辻堂が二人の元へ駆け寄ると、平間はブルブル震える指で、編集部の奥の方にある窓を指差す。
「ま、ま、窓の外に、赤い影が……」
ちょうど指した窓のすぐ近くにいた奥沢が、閉じられていたブラインドを勢いよく開けた。が、当たり前のように窓の外には何もなく、よく晴れたあざみ区の街並みが広がっているだけ。
それに何かが横切るにしたって、ここはオフィスビルの27階である。
可能性として考えられるものは、一つ。
「……寝る場所、変えなきゃ」
成瀬は深いため息をついてポツリと溢す。
きっと、赤い山女だ。
星川から教わった『居場所を変える』という方法も、やはり同じ町内だと見つかるのも早いらしい。
「成瀬くん、大丈夫?」
疲れた顔をする成瀬を気遣ってか、辻堂が背中をさする。
「……大丈夫です。とりあえず、ビジホに泊まるとして、この場合のホテル代、経費で落ちますかね?」
「うーん、どうだろう?」
仕事に関わることとはいえ、幽霊から逃げ回るためにホテルに泊まります、では経理も納得してくれないような気がするが。
成瀬と辻堂が二人して悩んでいると、奥沢がやってくる。
「泊まる場所の心配より、お祓いすることを考えた方がいい気もするけど」
「実はそれなんですが……」
成瀬が会社に泊まることになった時、再度お祓いをお願いしようと『衛宮神社』に現状を話したのだが「うちでは無理です」と断られてしまったのだ。そのため『蒼蓮寺』に連絡したのだが、住職が出張で遠方に行っており、今すぐの祈祷の類は受付できないという。
「和尚様がいないんじゃ仕方ないか」
タイミングの悪いことは、やはり重なるものなのだろうか。
うーんと考えていた奥沢は、成瀬のほうを見て頷く。
「なるべく衛宮町から離れたほうがいいなら……。とりあえず、成瀬くんはしばらく僕の家に来ようか」
「い、いいんですか?」
確か奥沢は衛宮町に隣接するもう一つの町、黄藤町に住んでいたはずだ。
「親友の子が困ってるんだ。問題ないに決まってるだろう」
奥沢が目尻にシワを寄せ、大きな手で成瀬の頭を撫でる。
成瀬は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、頭を下げた。
「ありがとうございます、お世話になります」
◇ ◇
「いやーしかし、困ったことになったもんだねぇ」
「本当にすみません」
就業後、成瀬は会議室に置いていた着替えなどの大荷物を持ち、奥沢が運転する車で黄藤町にある高級マンションに連れて行かれた。そして、高層階にある一人暮らしには贅沢すぎる部屋に案内され、空いている部屋に荷物を置いた後は、夕飯を食べようと近くのレストランまできたところである。
――部長の部屋も高そうだったなぁ。
成瀬は高いマンションのエントランスは、基本床がピカピカなんだな、とくだらないことを考えながら奥沢にくっついていったのを思い出す。
星川といい、奥沢といい、自分の周りにはそういう人しかいないのだろうか。
「まぁ別に成瀬くんが何か悪いことをしたわけではないんだし、そう謝ることじゃないよ」
「……それはそうなんですけど」
「見てもらった通り男の一人暮らしだから、若い子がいると楽しくなりそうだしね」
運ばれてきた飲み物をそれぞれ手に取り、軽く乾杯を交わして一口飲むと、奥沢の目がフッと細くなる。
「それにもし、君に何かあったら、君のお父さんに合わせる顔がないし」
「本当に何から何まで、いつもお世話になってしまって」
「僕がしたくてやってるんだ。気にしないで」
成瀬は大学時代、ライターの仕事に興味があり、そのバイト先として父が「親友が勤めているから」という理由で勧めてくれたのがK新聞社だった。そして奥沢の口利きもあったのか、学生時代は事務バイトとして採用され、それから編集部のライターとして社員になったという経緯がある。
「そういえば、部長と父と仲良くなったきっかけって、何だったんですか?」
奥沢とは父親が生きていた時から、度々顔を合わせてはいたが、基本的に何かしらの用事があることがほとんどで、こうして二人だけでゆっくり話す機会はあまりなかった。成瀬はせっかくだからと、父親のことを尋ねてみることにしたのである。
「きっかけかぁ、なんだったかなぁ」
成瀬の言葉に、奥沢がうーんと唸りながら腕を組んで天井を見上げ、それからふっと、懐かしそうに目を細めてこちらを向いた。
「最初に会ったのは、大学に入ってからでね。学部は違ったんだけど、同じサークルに入ってて、なんだか妙に気があったんだよねぇ」
「大学からの知り合いとは聞いてましたけど、学部は違ったんですね」
「うん、実はそうなんだ。でも学生の時はしょっちゅう一緒につるんでて、卒業してからも連絡を取り合ってたのは、アイツぐらいだよ。意外と筆まめでね。写真もよく撮るだろう? だから君のことも、赤ちゃんの頃から写真でだけど、いっぱい見てきてるんだよ」
「え、そうなんですか」
確かに父は写真を撮るのが好きだったし、実家にはそれこそ山のように写真が残っている。もしかしたらあれらの一部は、奥沢などに送っていたのかもしれない。
「奥さん亡くして大変だろうに『子どもはいいぞ〜』って君を散々自慢していてね。だから今の僕は、アイツの代わりに君の成長を見守っていたいんだ」
そんな話をしていたら、注文していた料理が運ばれてきて、目の前に並べられた。少し高そうなイタリアンの店だったこともあり、よく分からなかったのでメニュー選びは奥沢にお任せしたのだが、妙に肉料理ばかりな気がする。
「さぁさぁ、たくさん食べなさい」
「は、はい」
もしかしたら奥沢にとって自分は、息子のような存在で、だからこそ、困った時には迷いなく手を差し出してくれるのかもしれない。
成瀬はそんなことを考えながら、白い大きな丸皿に乗った分厚いステーキを、銀色のナイフで切り分け口に運ぶ。
普段なら食べられないような料理ばかりで、つい夢中になって食べてしまった。
奥沢はそんな成瀬を、どこか懐かしい顔で眺めている。
「アイツは、好きなことに夢中になると、全然食べない奴でねぇ」
「そうだったんですか?」
「写真って、カメラやフィルムにお金がかかるだろう? それもあって、アイツは真っ先に食費を削るタイプだったんだよ」
懐かしそうに目を細めて笑う奥沢は、成瀬にかつての親友を見ているのだろうか。
「だから僕は、君のお父さんに会うとまずご飯を食べさせてたんだ。気付くと丸一日食べてないなんてよくあったからねぇ」
「……なんか、すみません」
「いいんだよ。僕がやりたくてやってたんだから。だから君を見てるとね、つい何か食べさせたくなっちゃうんだ」
編集部への差し入れに、自分の好物を選んでくるのも、もしかしたら父に食べさせる時の癖のようなものなのだろうか。
自分の知らない父のことを知っている奥沢なら、アルバムに残されていたあのアパートのことについても、何か知っているかもしれない。
成瀬はグラスの中身をグッと飲み干すと、意を決して口を開く。
「あの、部長。こないだアルバムを見ていたら、知らないアパートの写真が出てきたんですけど」
「知らないアパート?」
「はい。母が生きていた頃、俺たち家族は七摘町の例の事故物件アパートに住んでいたみたいなんです。何かご存知じゃないですか?」
しかし奥沢は、成瀬の質問に目を丸くした。
「え、そうなのかい? ああでも、奥さんが山とか自然が好きな人だったから、わざわざ借りたのかなぁ。僕から手紙や荷物を送る時は、七摘町のご実家のほうにずっと送っていたから」
「そうでしたか。その辺の資料を探してる時に『山女』が現れたんで、そこから自宅に帰れてなくて。父のことを知ってる部長なら、と思ったんですが……」
成瀬が食べる手を止めると、奥沢が空いていた二つのグラスに新しくワインを注ぐ。
「僕は、アイツが結婚した後くらいから、海外で仕事をしていてね。だからその時期は基本に手紙のやり取りばかりで、会うことはほとんどなくて。だから、奥さんの葬式にも出てないんだ」
「そう、だったんですね……」
奥沢が写真で成瀬の子どもの頃からの成長を見てきた、というのは、その時の手紙に写真を同封していたのだろう。
――部長も知らないのか。
そうなるとやはり、七摘町の祖父母が残してくれた実家に行ってみるしかなさそうだ。
しかし、七摘町は山女の本拠地とも言える場所。こうして付き纏われている状態であの町に行ったら、どうなるか――。
「もしかして実家の方に置いてある、アイツの遺品に手がかりがあるのかい?」
成瀬が考え込んでいると、奥沢が見透かしたように言う。
「あっ、はい。俺が自宅に持ってきたものでは分からなかったので、もしかしたら……」
「そうか。じゃあ他の業務の調整がついたら、一緒に君の実家に行って調べてみようか」
「い、いいんですか?」
「一人で行くのは危ないと、分かっているから行けないんだろう?」
「……はい」
ただでさえ編集部に迷惑をかけているのに、危険だと分かっている場所に自ら赴くような無責任なことはできない。そんな成瀬の心情を、奥沢は正確に把握していたらしい。
視線を落として頷く成瀬に、奥沢は目尻にシワを増やして笑う。
「『虎穴に入らずんば虎子を得ず』だ。それに、成瀬くんがこんな状態になってしまったのも、ホラー企画を立ち上げた僕に責任があると思わないか?」
「で、でも……」
「それに、何かあれば『僕が盾になる』と言っただろう?」
「まぁ、確かに言ってましたけど……」
成瀬としては仕事上の責任や問題での何かが起きた時の比喩だと思っていたので、お化けから身を挺して守る方向になるとは思ってもみなかった。
慌てる成瀬をよそに、奥沢はグラスに残っていたワインをグッと一気に飲み干す。
「ひとまず、企画は一旦休止しよう。アクセス数も多いし、人気のコンテンツにはなったけれど、編集部のみんなにこれ以上何かあったらいけない。それにこの不可解な現象が、他エリアのみんなに波及しないとも限らないからね」
「……そう、ですね。みんなに怖い思いをさせちゃったし」
会社に赤い影が現れたあの時の、平間の泣き崩れた様子や、心配そうに介抱する根岸、明るく振る舞いつつもどこか不安そうな久地や辻堂のことが、成瀬の頭に浮かんだ。
「そんなに思い詰めちゃダメだよ。誰のせいでもないんだから」
「……はい」
奥沢に優しく諭され、成瀬はギュッと唇を噛んで頷くことしかできない。
――でも、部長にもあの記事のことは、言えてないから。
悔しさと後悔を握りつぶすように、成瀬はギュッと拳を握った。
◇ ◇
【K新聞の禁忌欄 一時更新休止のお知らせ】
ライター:ヒロ部長
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